★ 夏海の日記 ★

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2007年01月17日(水) 自分を育て直した(長い前振り^^;

今朝、BENに おはようメールを出した。

鍋を突きながら、teaは自分が出掛けた長期旅行の話をし、
私は静岡での一人暮らしの話をし、
どちらの思いも、
『小さな世界ではなく、現実に世界で今行われている日常を見に行って
 自分が世間一般の常識だと思っていることが、常に常識であるとは限らないと知ること』
『今の現状を人生の全てだと思わないこと』
『誰とも繋がっていない、周りに人はいるけれど、一人だという体験をすること』
だった。
そして「逃げても良い」と二人で言った。

私の静岡話の時、合いの手を入れたteaだったけれど、とてもイライラしていた。
夏海の話は要点を得ない。
だから イライラする。
真剣に聞いていると、気が狂いそうになる。
いつもそう言われているので、私は「あ、teaがいたんだった!」って思った。
忘れてた!って^^;
BENは 私の援護をしてくれた。
仕事において、簡潔には、必要だけれど、人と人との付き合いにおいては、それだけでは...とか何とか。

teaの頭の構造は知っている。
『結果』を知りたい。何よりもまず先に。
teaの頭の中では、凄い早さでジャンル分けがされ、
私の話があっちこっちに飛ぶと、最初っからジャンル分けをし直さないといけないので疲れるのだ。
最初に言った話と今聞いた話を加味して、じゃぁどのジャンルに分けるのか?
分けている間に、また違う例えが出てくる → また最初っからジャンル分けしないといけない
これを繰り返さないといけないんだから、そりゃー疲れるでしょうね。

全てにおいて『ジャンル分け』をしないといけない脳の構造をしているので、仕方ないなと思うけれど、
もっと私の話も頭をフラットにして聞いて欲しいなとは思う。
teaは結論を大切にし、私は過程を大切にする。
『その考え』に到った経路こそが、私には伝えたい大切なことなのだ。

静岡へ行った経緯、なぜ静岡を選んだのか、静岡で何をしたのか?
静岡で出会ったラジオ体操仲間がいても、私は一人ぼっちだったこと。
時間は充分あって、でも何もすることがなかったこと。
自分が入っていた宗教施設を見つけたけれど、そこにいる人は忙しすぎて (当然だけれど)私にばかり構ってはいられなかったこと。
派遣先で知り合った外国から働きに来ている人と仲良くなって、
自分がパニックだと言ったら、「病院に行ってるの?そう言うことってあるよね」って即座に受け入れられ、
頼って良いよって言われ、パニックになった時には抱きしめてくれたことを話した。
日本でその習慣がないにしても、
私は日本語が通じる日本人の住んでいる日本にいたのに、私を抱きしめてくれたのは海外から働きに来ている人だった。

私は、外国になんて行かなくても、世間を知ることはできるよって言いたかった。
日本の常識が通用しない場所という意味では 外国は良いと思う。
今、現実に いつ爆弾が落とされてもおかしくない状態が日常としてあり、
その中で 普通に 時にな笑いながら暮らしている人達がいることを体験することは。
でも、teaの言うところの外国に行くには、お金がかかる。

弟の友だちは、小学生の時に家出をし、自転車で家から逃げた。
夜はお寺に泊まって、何度捕まって連れ戻されても、何度も家から逃げた。
その話もした。
小学生でそれができるのであれば、大人ができない訳がないと思う。
自転車で日本を縦断するのには、食べることだけ考えたらガソリン代はいらないし、
何も食べられなかったら お寺に行けば、何か食べさせてくれる。
炊き出しをしているキリスト教の教会だって 日本にもあるでしょう。
毎朝見ている段ボールハウスの住人達は、優雅にお茶会をしていて、その中に混ぜて貰うことも私にはできると思う。
(結構な勇気はいるけれどね)

そして、teaが茶々を入れた為に、一番言いたくて言えなかったことを今朝メールしました。



雨だねぇ
teaがいたから結論が言えなかったけど、静岡の話をしたのは、どこ(の世界)にいても、異邦人は異邦人なんだってこと。
会社が決まって、引越ししたら、会社に属する自分だけれど、私はとにかく家を出なきゃと思って(友達がいたにしても)どこにも繋がらない土地で生活して、
どこにも属さない『ただの私』というのを初めて体験したのよ。
『PO』でも一緒。
仕事があるとか、家庭がどうとか、薬を飲んでるとか、全て関係なくって、鎧を纏っていない素の私で良い場所って初めてだったの。



そして、メールを出してから電車の中で考えたこと。気づいたことがあります。
その前に、例の如く 長〜い前振りを...



うーたんの家を出るにあたって、うーたんに確認を取った。
一緒に出るか否か。
離婚を決意した原因は嫁姑問題などではなく、
私の中の問題としては うーたんにあるものの、
家を出たら、何かしらの進展がみられるかも知れないと思って譲歩してみた。
答はNO。
親を置いて出ては行けない と。
親を見捨てろとは言っておらず、家の仕事を手伝っている関係から、
一緒に出るなら近所に家を探そうと思ってと聞いた答がNOでした。

それなら、近くを選ぶ必要がなくなり、私は親からも離れたかったので他県にすることにし、
静岡に住んでいる友達に物価や土地柄などをリサーチして、不動産屋さんを巡って身の丈に合った安いアパートを探しました。
私の力だけで家賃をきちんと払えることが、1番の大切な条件でした。

ラジオ体操や宗教関係を通して知り合いは増えましたが、人がいても寂しさは増すばかり。
私は一人であることを痛感しました。

どこの団体にも所属していない私。
会社にも
学校にも
家庭にも

外国人ばかりのアパートという特殊な集合体だったので、地域の町内会の集いなどもなく、
入会した軟式庭球のクラブは地元の高校のOBで結成されていた為に
私の腕が悪かったせいもあってイジメに合い
壊れかけていた友達は私の(私だけでなく他の誰の)家に入れない人だったので、
1度か2度、仕事で知り合った子が遊びに来てくれた他は誰に訪問されることもなく、
# あ、もう一人の友だちは 自分の時間が許す限り会いに来てくれました。
# ただ、その人は『守りたい』願望の強い人で、心強かったのですが、反面重かったのも事実です。
 # とても申し訳ないのですが、二人でいても、マスターベーションしているようで、
 # 二人でいるからこそ 哀しいことですが寂しさが増しました。
 # こちらへ引っ越してしまって、自分を拒絶されたと思ったのか、連絡が取れなくなりました。
 # かなり崖ップチにいる感じだったので、壊れないで元気でいるのかなと、それだけが心配です。
それでも1年 何とか頑張りました。

続く・・・


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