★ 夏海の日記 ★

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2006年10月06日(金) 食育のすすめ 3

食育のすすめ、3日目になりました。
伝えたいことが盛り沢山で まとまらなくて困っています ^^;

では、服部先生のお言葉の引用から。
> 『孤食』によって社会性が育たず、
> 『個食』のせいで我が儘になる『固食』と『小食』と『粉食』では栄養も行き届くはずはなく、健全な肉体は作れない。

『孤独な食卓によって、社会性が育たない』は、人のペースに合わせて食事をすることや、
お喋りをして 人の話を聞くことや、自分の話を聞いてもらうことによって、
会話の練習をすることができないことによる弊害だと思います。
家でさえ喋れないのであれば、家の外で喋れるわけがない。
家で人のペースに合わせることができないのであれば、家の外で出来るわけがない。
季節のものを食べていて、でも季節の話題を話していないのであれば、それはエサに過ぎない。
一年 何を食べても 季節感など育たない。
「もう栗の季節なんだね〜 つい昨日まで暑かったのに、早いねぇ」って栗ご飯を食べて話をする。
「このサンマ、焦げちゃったね ^^; ごめんごめん」って言いながら食べるサンマは、無言で食べるサンマよりも断然美味しい。

この食卓を囲んでお喋りすることによって、家族の記憶としての食事があり、食べる姿を見て体調を読んだり気遣ったりして
家族というものが 成り立っていくんだと思います。
また、好き嫌いをなくすことができ、成長に充分な身体の栄養を摂り、心を満たしてくれる食卓があるからこそ
夕飯の時間には家に帰ろうって 温かい家族が待っているって思って、
友達と喧嘩しちゃって泣いた日も、家に帰って温かいご飯を食べたら元気が復活しそうだって思える
そんな『絵』が 孤独な食卓には ない。

> 学校は社会性を身につける大切な場所。
うーん 微妙だね。
ただ、世間は 理不尽だってことを勉強するのには 良い機会だとおもうよ。
意味のない校則や 偉くも無いのに威張っている先生は、先生と言うだけで権力振りかざしたい放題だし、
でも、世の中って理不尽なことばかりだから、それを知るのに学校という囲まれた空間っていう特殊な環境は有効かもね。

> そこへ良い状態で子供を送り出してやることこそが親の役割で 、
> 一生懸命に集中して勉強ができ、思いっきり身体を動かして遊ぶことができる身体を作ってやれるのは、親しかいない。

親しかいないのだよ。
もしくは、親代わりをしていてくれる人。
勉強に集中できる脳みそを作るのも、体力を作るのも お口から摂る栄養で、
人や動物の身体は、たんぱく質やアミノ酸でできていて、それが摂取できていないと生命の危機にすらなる。
きちんと栄養が足りていないと人はイライラし、少しのことでもキレる。
お腹が空いた状態で口論は避けるべきで、取りあえず何かお腹に入れてからでないとただの罵りあいになる。
現代人は心も お腹も飢えているから、些細なことで 人を傷つける方向に思考や身体が向かってしまっているのだろうね。
私の母は太っちょです。
結構な勢いで でぶっちょです。
でも、栄養失調と診断されて点滴を打ちました。
太っている イコール 身体に栄養が足りていること ではないのです。


> 子供の発育段階をざっくり分けると、0才〜3才は親とのスキンシップが最も重要。
> 3才〜8才は人格形成の時代。
  人間の一生を左右する大切な時期だそうです。
> 8才〜10才で脳はすさまじい発達をする。
> 自我が芽生え、好き嫌いも明確になってくる。
> 食に関しては、この時期までに好き嫌いをなくさなければ、一生残るらしい。

さて、私はこの大切な時期に 一体どこで何をしていたのでしょうか?
毎朝吐いて学校へ行った時期。
大人は信用できないと悟った時期。
誰も私を助けてなんてくれない。頼れるのは自分だけだと悟った時期。
そして転校につぐ転校によって、理不尽に生活や人間関係を破壊される経験をし、
母は体力的にいっぱいいっぱいの状態で生きるのに疲れ果てていたし、
父はスイッチを握りっぱなしで、いつスイッチを押すか顔色を窺いながらの食卓。
そして父母が怒鳴りあっていた食卓だった気がする。


> この中で3才〜8才の5年間が、家族で食卓を囲むのが最も多い時期だとされており、
> 一日三食で365日。一年で1095回の食事がある。
> 子供は食卓を通して作法を学び、身体を作り、家庭の温かさを知る。
> この五年間に生きていく為の基礎がたくさん詰まっている。

作法は学んで、身体は作れなかった。家庭の温かさは知らない。
でも生きていく為の基礎は、充分学んだよね。
反対方向にねぇ (苦笑)
人生って何て理不尽なのだろうってね。
長い休みの間に生活していた祖父母や伯父母の家での食卓は 色々思い出すけど 結構微妙かなぁ。
でも、人々が言い争わない穏やかで和やかな食卓だったよ。

そしてこの言葉に愕然とした。

> 動物は我が子に、まずは食べてもいいものと食べてはいけないものを教える。
> その次に食料を得る方法を教える。
> そしてそれができたところで一人前として扱い、子供を突き放す。
> そうすることで生きていく力がつく。

なるほど!先生の言うとおりです。
食べて良いものといけないものを教え、食料を自分で得られるまで養い、
食料を得る方法を自分がお手本になって何度も練習させて習得させる。
でないと死んでしまうから。
そして、生き残る知恵を教えて親としての努めを充分果たしたら、手を離す。
(動物界において、これは次の子供を産む為になのだけれど。)

で、
これを読んで、このままの日本はダメだと思う。
生きる為の知恵以前に食べることの大切さえ教えられない親。
って言うか、親自体が その大切さを知らないでいる。
先生が嘆いていた。
入学して2年間で、インスタントラーメンやコンビに弁当やハンバーガーの生活をしていた生徒の
そのほとんどが食生活の改善がなされていない。
栄養や食事に携わる為に入った学校の生徒で、
人の『食』に関わる仕事をするであろう人たちの 自分の『食』に関する感覚が、この低落なのであると。

私は栄養士の学校へ行き、先生によく言われていた。
「自分は貧血なの」って言うことは、「私は馬鹿なのよ」って自慢していることと同じだ。
恥ずかしいことなのだと 恥だと思いなさいと。
人の食事を管理するあなたたちが、自分の食生活を管理できないことは恥ずかしいことだと思いなさいと。
その言葉と、結婚している間の食の権利を握るものとして、
この人たちの健康を握っているのは私であるという意識は絶えず私にはあった。

私は携帯世代ではないので、携帯には依存していない。
メールを打っても 返事が返ってきても来なくても気にならないし、すぐに返さなきゃって思わない。
だから、teaと一緒にいる時は、teaと一緒に過ごしたいって思うので、PCもあまり構わない。
teaがいない時間や teaが仕事や遊びでいない日に返事をすれば良いことで、
休日は急いで返事をしないといけない必要がある時以外は携帯すら見ない。
(メール 送ったでしょ!ってteaにはよく怒られます ^^;)

赤ちゃんを抱っこしたまま メールを打っているお母さんを見かけました。
子育ては日常で、毎日休みなく続く。
でも。
赤ちゃんも24時間起きてはいないし、赤ちゃんが起きている時くらいメールするのを止めようよ。
食事中は、お喋りしょうよ。ちゃんと目を見て。
楽しいお喋り、それ込みで、楽しい 美味しい食卓だと 私はこの2年間で学びました。

夜遅く帰っても、teaは「夏海ちゃんの為を思って♪」って、お箸を持って来て、「いただきマンモス2(ツー)」をします。
(私の夜のカロリー摂取を押さえる為って言うけど、嬉かないぞ...って ま、いっか楽しいし)
teaが寝ている時間に帰った時でない限り、
私は一人ではなく、一緒に食卓を囲んでくれるteaがいます。(横取りされますが 。。;)
そしてゲラゲラ笑いながらご飯を食べています。

食道ガンで亡くなったteaのお父さんは、昏睡に入るまで お医者さんから言われて口から食べることに固執しました。
点滴よりも 口から入れる食事の方が 流動食でさえ 生きる力になる。
楽しい食事をすると、身体がきちんと吸収してくれます。
楽しい人生を送りたいなら、きちんと楽しく食べること。

子供の頃の 楽しい食卓の思い出がなくても大丈夫。
今から初めてみませんか?
TVを消して、携帯の電源を切って。
もしくは、携帯でメールするのではなく お喋りしながらね ^^




●夏海(358) 題名:食育について 投稿日 : 2006年10月6日<金>09時05分

が、どんどん長く大作になっています
文章はワードで打ち込み、3〜4ページを目安に打ち込んでいるのですが、
もう3つめに突入しています

琴線に触れた理由は友達のアンジュの話を聞いていたので。
今読んでいるPHPの雑誌もアンジュからから貰ったもので、
アンジュは自分の採用された文だけに意識が集中していたので
自分が今直面している問題が掲載されているのを見落としていたのでした
チャンチャン
んで
明日返しに行って、と同時に私の文も印字して渡そうとおもっているんだけど
(アンジュはネットをしていないので、私の日記は読めないのだf^_^;)
どんどん大作になっていってしまって…
何とか今日中に落ちを付けて仕上げてしまわないと!と焦っています

にしても
今年になって、食べることの本当の意味での重要性を痛感しているこの時期にアンジュから話を聞いて、
たまたま貰った本にまさしく『今』のテーマが書かれているなんて
本当に時期というものはあるもんですね。
これが夏や春だったら、とても薄っぺらい一般常識的な書き方しかできなかったと思う。
偶然だけど偶然じゃないものを感じます。

只今電車の中デス
相変わらず遅刻街道まっしぐらの夏海でした


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