★ 夏海の日記 ★

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2006年09月14日(木) 自己主張の勧め

今朝はベランダから養老山脈がとっても綺麗に見えました。
久しぶりに爽やかな朝です。

ポストに投函されるクーポン付きの無料冊子のお店情報を見て、もうすぐ湯豆腐の季節だなぁって思って嬉しくなり、
あらら?夏が過ぎ行くのに嬉しいだなんて??ってびっくりしていたら、
土曜日の夜に出掛けたコンビニでおでんを見て、そう言えば もうすぐおでんの季節だなぁ楽しみだなぁって思って、またもやあれれ?って。

おでんや湯豆腐や鳥鍋や...
私は1年間、本当に楽しい食卓を囲んでいたんだなぁって今朝気が付きました。
季節感のある食卓を teaと楽しく囲み、美味しいねって言いながら、楽しく食事をしてたんだぁって。
去年の私はまだ不安定で、お薬も減量中だったけど、だからアップダウンがあって最悪な状態だったけど、
豊か(高級食材が並んでいるという意味ではなく)な食卓は、心を豊かにしてくれるのねって
改めて 今話題になっている『食育(しょくいく)』というものの大切さを知りました。
季節が移っていくことを楽しみにするなんて、今までの人生で一度もなかった感触です。
私は『季節』を 目に見える見たそのままの『季節』としか感じてなかったのね。
こんなに豊かな季節の移り変わりを 心で感じていなかったなんて、ずいぶん勿体無い時を過ごしてきたものです。
食べることって、命の根源に関わることなので、楽しい食卓を飾ることの大切さをもっとみんなが実感すれば、
すぐに人を殺しちゃうような 短絡的な思考方向に向かっている日本全体が変わるだろうにと思います。


さて、題名の『自己主張の勧め』について

あなたは 夜、自転車をこぐ時に、ライトをちゃんと点けて運転していますか?

昔、バイクの免許を取りに 自動車教習所へ通っていた頃、先生に昼間でもライトを点灯しなさいと教えられました。
道を照らすのではなく、自分がそこにいることを自動車にアピールする為に だそうです。

バイクは自転車と同じで二輪です。
車幅はとても狭く、自動車の半分もありません。
車道の真中を走っている時は、自動車のバックミラーに映るけれど、ミラーの死角に入ってしまって、
そこにいるのに 車からは見えていない状態』になってしまう現象がおきます。
車からは見えていないのですから、そこに存在していないものとして車は走ります。
そして
自動車の左折に巻き込まれたり、急ブレーキを踏まれたり、左側に寄られて危ない目にあったり、
最悪事故ってしまう場合もあります。
窓を開けて車を走らせていたらバイクの音は聞こえるけれど、窓を閉めてオーディオを聞いていると、バイクが脇をすり抜けていくことに気が付きません。

軽くすり抜けていくスクーターなどに「おぅおわ!!」ってびっくりして心臓がバクバクいうようなことがよくあるのですが、
スクーターしか乗ったことがない人には、スクーターはどうも自転車感覚のようで、
自分がスピードの出る危険でとても不安定な乗り物に乗り、自動車と同じ車道を走っていることが危険なことだとは思ってもいないようです。

おっと!横道にそれてしまいました。

で、昼間のライトは目立ちません。
でも、ちゃんと光っているのです。
その光によって、ミラーに映りこみ、何かが自分の後ろにいることに気が付きます。
(バックミラーを見ないで マイペースで運転している困ったちゃんには 何をやっても無駄なんですけど)
自分がそこにいることをアピールする大切さを 教習所で まず教えられました。
自分を守る為に。
(だって、バイクは 生身のまま高速で走るので、転んだら必ず怪我をするのですから)

自転車のライトもそうです。
暗い夜道を照らす明かりというアイテムだけでなく、自分がそこにいることを車にアピールしないと、
自転車って(歩行者もですが)、本当に 夜 車に乗っていると見えないんです。
車はライトを照らして走っているから、自転車や歩行者には「あ、車が来てるな」って分かるんだけど、
車側からは 自転車がいることも 人がいることも 全然見えてない。
だから、視界に急に自転車が現れたり、歩行者が現れたりして、心臓がバクバクすることが多々あります。
自分を守る為に、自転車でも夜はライトをつけて走ってね。

そして
これって、生きることにもつながると思うんです。
自分がここにいるよって ほんの少しでも良いから自己アピールすること。

全盲の友人の家に遊びに行くと、私はジーンズのベルトに鈴を付けていました。
私が動くと鈴が鳴る。
目の見えない友人は、ニオイと音が私の情報の全てで、何も喋っていないと私はそこにいないのと同じになります。
私は見えているので、自由に動くけど、友人は見えないので、行動線上でバッティングする。
動きがとても早い友人と 友人をよけ損ねた私は何度もぶつかって、
そうだ!!って鈴をつけることを思い立ち、チリンチリンと鳴らしながら歩いたら、これは便利だと喜んで貰えました。
そして その鈴の音のお陰で、もうぶつかることはなくなりました。
一緒にいる時には 鈴をつけていましたので、そのうち私がじっとしてて鈴の音が聞こえなくなると、
「どこにいるの?」って声を掛けてくれるようになりました。
鈴の音はしていないけど、家から出るドアの音もしていない。
一体どこにいて、何をしているんだろう?ってね。
鈴をつけていたお陰で、音がしなくても私がその部屋に存在していることを思い出させてくれて、
鈴を付けてない時には、音を立てていないと『いないもの』だった私が 
音を立てていなくても『部屋に存在している人』になりました。

昼間のバイクの点灯、自転車のランプ、腰につけた鈴。
自分がそこに存在していることをアピールすることによって、自分を守ったり、人を守ったりします。

私はここにいるよって 自己アピールすること。
その言葉で私は傷ついてるんだよって 自己アピールすること。
私はあなたの傍にいて、ちゃんとあなたを見ているよって 自己アピールすること。

何も言わなくてもわかってって貰えるのは理想だし、
何も言わなくても私の存在に気が付いて 
何も言わなくても私の気持ちを分かってくれたら嬉しい。
でも。
何も言わなくても 私以外の人に 私の本当の気持ちをわかって貰えると思うのは傲慢だし 危険。
人に自分の気持ちをゆだねてしまうのは 嫌。
夏海ちゃんは、こう思ってるんだよね?って 私の気持ちを そう推し量ってくれて言われても、
うーん...遠くは離れていないんだけど微妙にニュアンスが違うなぁって思ったりします。

嬉しいことは 嬉しいと
違うことは 違うと
悲しいときは 悲しいと
寂しいときは 寂しいと
きちんと言葉にして相手に伝えることは、自分を守ることと同時に 
大切なコミュニケーションや 誰かを守ることにもなるんだと思います。
ちょこっとだけ 勇気を出して


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