★ 夏海の日記 ★

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2006年09月12日(火) 丁寧に育てられたか?

昨日の夜、筑紫さん+TBSの特別番組を見た。
番組の途中にお風呂に立ったteaは、「別に変えても良いからね」と言ってお風呂に行った。
私にはニュースを見ることができなかった過去があり、
その酷い状態の私を見ているteaは、このショッキングな映像を見て私のスイッチが入ってしまうことを恐れていたんだと思う。
5年前のあの事件のあと、私はうつを再発した。
今回のあの事件の検証をしていた映像を見て、スイッチが入ってしまう人もいるだろう。
ボーダーラインにいる人、崖っぷちにいる人
あのショッキングな出来事を映した映像が 背中を押してしまう可能性は高い。
こちら側で踏ん張って頑張っている土俵際にいる人の背中に最後の一押しをしてしまう程のショッキングな出来事だった。

「たった3000人(でしたっけ?)しか死ななかった」とteaは言った。
「何の罪もない人が ある日突然飛び込んできた旅客機によって命を奪われた」というTVのアナウンスに向かって。
テロは憎むべき行為であり、でも。
自分が旅をしてきたアフガニスタンなどでは、ある日突然ミサイルが飛んできて、何も罪のない善良で普通に生活している家族が住んでいる家が爆発し
愛する人達が亡くなっていくことが 日常なのだと。
何万 何十万の理不尽に死んでしまった人の数に対して、たった3000人だと。
それはテロなどではなく、正義の名のもとに行われた結果の『誤爆』だったりさえする。
「ごめんね〜 やっちった〜」
どれだけ謝罪されても死んだ命は もう生き返らない。
誤まって殺されてしまった人たちの残された人には恨みが残る。
そして 憎むべきテロは なくならない。
『右の頬を打たれたら 左の頬を差し出せ』と教えにあるキリスト教の教えとは一体何なんだろう?
自爆テロを行った人は英雄視され、その家族は一生安泰に暮らせるとteaは言う。
だから自爆テロはなくならないのだと。
自分の命と引き換えに家族の生活が一生保障されるという自爆テロを行う実行犯たちは、
宗教的狂信者なのだろうか?それとも、家族愛、自己犠牲的精神によってなされるのだろうか?
心の ではなく 胃袋の飢えというものを私は知らない。
ミサイルに莫大なお金を投資するのではなく、食料を援助し続けるのなら、
少なくとも宗教的狂信者ではない実行犯が行うテロはなくなるのではと思う私は甘いのだろうか?


さて 本題に。
「恩に着せてまで していらん」
母が私たちによく言った言葉。
「(食後の)後片付けしてあげるわ」の言葉に対しての返事だ。


叔母(私に捨て台詞を残し去っていった かの人です)がある宗教に入信していて、
叔母に誘われて母は「家族入信」し、
自動的にいつの間にか私もその宗教の一員になっていた。
仏教の教えと その宗教団体の創立者の母親が 入信していた宗教団体の教えと合いまって
「お蔭さま」という思想が浸透していた。
そして「○○させていただく」の思考方向。

駅前の掃除や集合住宅なら共有部分の掃除など、
「掃除をする」ではなく、
「掃除をさせていただく」

大上段に構えるのではなく、○○させて下さいという心構え。
喜んで奉仕をする『思考方向』を絶えず言われていた。

母や叔母が言う。
自分の父親や母親(私にとって祖父母)が言っていた言葉通りのことを言われているので受け入れやすいと。

電車に乗っている時、
重い荷物を持っているお年よりを見かけると、祖父母は子供達にこう言ったそうだ。
「あの荷物を 持たせて貰って来なさい」
子供は素直に親の言葉を復唱する。
「その荷物を、私たちに持たさせて貰えますか?」

「あの重そうな荷物を 持ってあげなさい」
ではなく、
「持たさせて頂きなさい」

海の幸を頂いて 生活していた祖父は、生活全てにおいて 『お陰さま』だったように思える。
海が荒れたら漁ができない。生活ができない。
赤潮が発生したら、魚やカキは死んでしまう。
漁ができることへの感謝。
生活ができることへの感謝。
叔母(祖父の娘)が病気になった時、大漁だったお陰で 病院へ連れていくことができたと 何度も涙を浮かべて話していた祖父。

漁師の仕事が早朝なのであれば、子供達が学校から帰る頃には家にいて、
海が荒れた日にも家にいて、
祖父母の子供達は、丁寧に育てられたんだろうなと思う。
生活の知恵や 人への接し方をきちんと教えられ、
奢るもんじゃない。人に接する時は、相手のことを考えて行動しなさいと教えられ...

その子供であった叔母は、「私がこんなに してやってるのに」と自ら買って出た自分役割に対して私に愚痴り、
その犠牲として 「私は子供とコミュニケーションが取れない」と私に懺悔する。
懺悔すべきは 自分の子供に対して だろうに。
自分の手に負えなくなった(意思の疎通ができない)娘を宗教団体に預けて人間形成がなされていくのを祈る。
そして、お陰様でこんな風になったと報告した叔母。
んっとね。
間違っていると思うな。あたし。
他人に育てて貰った娘を見て喜ぶ...
へ? あれあれ? 私の母親もですかい?
ありゃりゃ
話を聞いた限りでは、丁寧に育てられただろうに、勿体無い。

そして母は 上記の言葉を吐く。
「恩にきせてまで していらん」

自分は丁寧に育てられて、その土壌があったから言った言葉なのだろうが、その言葉から何を汲み取れと言ったのだろうか?
私が汲み取った言葉は こうだ。
「労働の見返りとしてお小遣いをやると言ったのだから、それ以上恩を着せるな」
祖父母が言いたかった言葉であろう「させて頂く」の精神は あなたから私へは引き継がれなかったね。
ざんねんっっ!!
私が母に教えられたことは、「お金を払った以上、私は客よっ!!」の精神だった。
どこで どう間違っちゃったんだろうねぇ?

させて頂くと口先だけで『言う』のは簡単で、そう自分が思っていると思い込むこともとっても簡単。
そう叔母のように。
他人にはできることが、私に対しては 「してやってる」と恩に着せていることに 本気で気が付いていない。
「これだけしてやってるのに」と恩を強引に売りつけていることに気づかず、
感謝されないことに苛立ち、にも関わらず私の体調が良くならないことに苛立ち、捨て台詞を吐いてサヨナラ。
これは 悪でさえあると思うのだが?

祖父母の下で丁寧に育てられ、宗教によってそれを再確認した母と叔母。

ごめんね。やっぱり住んでいる世界が違っているんだね。
祖父母は私と同じ世界だったのだろうか?
伯父は同じ世界だった気がする。(父親としては失格だったが)
何が違う? どこが分岐点だったんだろうね?

皇后である美智子さんが 子育てバイブルとして作った『ナルちゃん憲法』の話をHPで少し読んで、
丁寧に育てられた人は やっぱ違うよなぁって思ったけど、
それを受ける側の資質ってあるんだなぁってことが 今朝判った。

私は 父母の思考を受け継がなくて幸運だった。


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