★ 夏海の日記 ★

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2006年02月08日(水) 今読んでる本の話

今ね、仏陀の話を読んでいます。
上司に借りて。
この上司が、物凄く 知識の間口が広くて、結構深い。
考えの志向性も似ていて、宗教観やら 生死観 人生観など 色んな話をします。
私は女で 上司は男だから、お互いの性の疑問に思っていることなど、セクハラギリギリのラインの話まで 結構平気でします。

んでもって、休憩時間に話をしていたら、読書の好みも同じだったりして、
んじゃ 持って来てやるよって貸してもらったの。

仏陀って言っても、作家が『夢枕獏』だんだから、まぁ宗教観はあるけれど、魑魅魍魎やらでドロドロな話なんだけどね。

獏さんは 山屋さんだから、独特な宗教観を持っていて、
それは、自然と対峙する人なら誰でも持っているものだったりします。
なぜなら、自然は優しいけど、厳しいから。
自然はみんなに平等で、個人だけを 決して甘やかしてくれないから。
山に入ると、自分を守るのは 自分だけだと 自覚します。
誰と一緒であっても 自分のことは 自分で守る。
迷惑をかけない 最低のルールです。

私は田舎の漁村で育ち、祖父は漁師。
自然を相手にした職業をしている人は やはり独特の宗教観を持っていて、
その中で育ちました。

荒れた日に漁に出ると、死ぬ可能性がある。
どれくらいなら 自分は大丈夫なのかを知ること。
腕の良い漁師だった祖父は、まず漁場を作ることから始めて、海から恵みを貰って帰ります。
海に道などないから、その場所を覚えるのは 自身の勘と経験。
祖父について行けば 魚にありつけると人が集まり始めると
祖父は新しい場所へ移動し、また最初から そこに魚場を作ります。
釣れていようと いまいと えさを買いつづけ、
時化が続いて えさ屋さんが 余って困っていると、余分に買って助けます。
そういう付き合いをしていると、えさが入手困難な時には 優先的に売って貰えたりします。
それを 祖父は独り占めしたりしないで 買いたい人に分けていたそうです。
誰も祖父を悪く言う人はいず、
漁師として尊敬されていました。
海に出ると 普通に水死体を見つけたりします。
人があっけなく死ぬものだと知っています。
魚の命を奪って 自分たちは生かされているのだと知っています。
自分たちは 自分だけの力で 生きているのではないことを知っています。
神と呼ぶ以外に 名前のない 大いなるものの存在が 確かにあることを知っています。
それは 自然であり、風であり、空気であり、波であり 思いであったりします。

人はいづれ 死んでいくものです。
今読んでいる本に書いてあるテーマ。不死。
その中で 何度も何度も 人は 人として生き 人として死んでいくのが良い と書かれています。

若き日の仏陀が言います。
人が人として生きていないのなら、不死は無意味だ。
喜びも 悲しみも 何も感じないのなら、不死は無意味だ。

私は思います。
生まれ変わりがあって、それが人間だったからと言って 幸せだとは限らない。
縄文杉は 長い長い年月を生き 富士山も 長い年月そこにあって、
蝉は 7日間 子孫を残す為にだけ 地上にあがり 死んでいきます。
人は考えてしまう生き物だから、そういうシンプルさに憧れています。
ねずみには ねずみの生が
みみずには みみずの生が
川には 川の生が
私には 私の生が

4cmくらいかな?の分厚さの本を 毎日通勤電車の中で読んで 生と死について 考えたりしています。


と、ここで 反省文。
書き込んだ日に書きたかったんだけど、お昼から吐き気が酷くなって早引きし、次の日は会社を休んで寝ていました ^^;


2月10日:一昨日書いたことへの説明?

言葉足らずだったかなぁって ちょいと反省。

> 若き日の仏陀が言います。
> 人が人として生きていないのなら、不死は無意味だ。
> 喜びも 悲しみも 何も感じないのなら、不死は無意味だ。

私は私が考えて知っているからと 相手もそれを知っている前提で話をしてしまう癖があるらしくて、
ルームメイトは私の話を聞いて イライラするって怒り出します。
真剣に話を聞くと 気が狂いそうになるから、適当に聞き流すとまで言われます。

うん 確かになぁ
ちょっと反省。でも、気にしないのが 私の良いところ と言う事で ^^;
最近私は にわとり頭だと よく言われます。
3歩歩いたら 忘れる。
または、サル。
反省だけなら サルでもできるぞって言われて、サルだも〜んって言い切ってしまう。
反省だけすれば良い。それを今後に生かすかどうか は 私が決めれば良いことで。
痛い思いをするのは 私だしね。
 
 
で、一昨日の言葉の反省?説明?

不老不死がテーマの本を読んでいて、私は不老不死になりたいかって考えた時、
私は命に限りがあるから、今を大切に生きようって思うタイプで、
夏休みは 夏の間だけあるだけで良い。
1年中ずーっと休みなら、何をしたら良いのか 判らなくなる(貧乏性っすか?)性格です。

で、その私が読んでいる仏陀の本には、魑魅魍魎が うようよ出て来て、
みんなが 不老不死になりたがって それを手に入れる為に闘っているの。
その中に若き日の仏陀がいて、でも、仏陀欲しいのは、不老不死ではなく、
悟りを開かなくても、
苦しい修行をしなくても
どんなジャーティー(階級)の人であっても
人が 人であるだけで 幸せになれる 何か があるはずだって、
それを探して旅をするって話なの。

人は年老いなければ 幸せになれるのか?
人は 死ななければ 恐怖は感じないで済むのか?
不老不死であれば、人は幸せを手に入れることができるのか?

否 と 仏陀は 思います。
ただ 生きているだけでは 苦しみは なくならない。
不老不死を手に入れても、その人が その人でなくなってしまうのなら、不老不死を手に入れる意味がない。
食べること、喜ぶこと、楽しむこと、泣くこと、怒ること、感じることが できなくなってしまうのなら、
1000年生きていても それは生きていると言えるのだろうか?と。

反省したのはね、
私、うつが酷かったときに、何を食べても 味がわからなかった時期があったし、
何を見ても 心が動かなかった時期があったの。
『喜び 悲しみ を感じないのなら、不老不死は無意味だ』って言葉。
言葉が足りなかったなぁって思います。
だって、実際 私は 喜びも悲しみも 何も感じない時期があったから。
そういう人に対して『無意味』って言っちゃったんだよね。
反省しています。

何て言って良いのだか 難しいんだけど、
植物人間になっても 伯父さんは生きていて欲しかったし。

ただ、不老不死 永遠に死なない のなら、
楽しく生きたいじゃない?
死なないから 生きている じゃなくて。
退屈しない『生』なら 不死も良いけど、
私は 終わりがある 普通の『生』が 良いなぁって思います。
不死も きっと孤独だろうから。


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