★ 夏海の日記 ★

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2002年01月31日(木) テンポが 遅くて

28日の夜6時からのお通夜に間に合うように出掛けるには、2時頃に出発しておこう。車で行くので、焦らないでゆっくり走ろう。私まで事故らないように。

泊まりがけで行くので、洗濯物を済ませ、コインランドリーまで乾燥させに行き、主婦の仕事は一応片づけ、自分の支度を...。
それだけのことを、どれだけのテンポでできたんだろうか。意味もなくウロウロと歩いたり、次に何をするか思いつけない。何を持っていけば良いのか頭に浮かばない。今考えてみると、何をしていたのか 思い出せないほどです。

旅行の準備と、喪服...そう!そう!喪服を持って、寒いから、コートを。そうだ!寒いからタイツも!あ、黒いカバンもだ。白いハンカチと、お香典袋、数珠。
黒いコートを取りに行った部屋で、ぼーっとしながらタンスの隣にあるカラーボックスを意味もなくバタバタ開けたら、靴が入っていた。あ゛...黒い靴もいるんだ。買った頃より明らかに体重が増えているので、一応履いてみる。クッ...キツイ...。これは、タイツではなくて、ストッキングじゃないとダメだ。
そうだ!喪服!確か、買ったときは、ちょっと無理して少し下の号数を買ったはず。入るか?試着してみる。入った!奇跡だ!!(先週の吐き気で食べられなかったお陰で、体重が減っていて、ラッキー)
お金!そう!お金だ!!銀行へ行かないと!

それだけの為にずいぶん時間が掛かってしまって、結局2時に実家へ母を迎えに行き、高速へのったら、自分が お昼ご飯を食べていないことに気が付きました。
お通夜は 長いのが分かっていたので、何か食べておかないといけない。サービスエリアで腹ごしらえをして、その後は そのまま休憩なしで直行しました。

6時。読経開始です。
お坊さんの読経の後は、通称『念仏ばあさん』(御詠歌を詠ってくれる人たち)が延々と御詠歌(仏の教えを歌に合わせて唱えるもの)を詠って、9時頃(?)終了しました。
親戚の家は、子供が4人。その子たちの仕事関係、友達関係、親戚の人、親戚付き合いをしている人、遠縁の人...。あまりの人数の多さに、いる場所がなく、玄関の外でくつの整理をしながら1人1人に挨拶をしていました。
小さな漁師町なので、みんながパワフルで、悲しいんだけど、ユーモアも忘れない。初詣のような...と言ったら解ってもらえるかな?つまりお祭り騒ぎのような騒がしさでした。
私は のんびりとしたテンポなので、そのあまりのテンポの速さと騒がしさで、ウロウロしてしまって、一体今、何が起きてるのか解らない状態でした。
まだ お通夜だというのに。本番は明日だというのに、すっかり疲れ切っていました。

小さな漁師町なのに、観光地でもあって、家のすぐそばに温泉旅館があり、そこで宿泊しました。
親戚の家に到着後、ずーっと慌ただしく、騒がしく過ごしたので、泣く余裕すらなかったのですが、温泉に浸かっていたら、
「ストレスが溜まりまくりだから、温泉にでも行って、のんびりと過ごしたいね〜」って友達と話をしていたことを思い出して...。こんな悲しいことで願いがかなうなんて!海が恋しくなっていたので、海に行きたいなぁって言っていたばかりだったのに、それが叶ったのも、こんな悲しいことが原因だなんて!って思ったら、涙が止まらなくなりました。
母が、「夏海は、一生懸命頑張ってるんだから、おっちゃんが、ゆっくりしていけや〜!って言ってくれてるんやわ。夏海のことが大好きやったから」って言ってくれて、また泣いて...。

私のことを心配してくれてる友達がいて、彼女が「辛くなったら、メールしてね。それでもダメなら電話してね」って言ってくれてたの。彼女に、いっぱい泣いてしまったよってメールを出したら、「いっぱい泣いて、からっぽになって帰っておいでね」って返事を返してくれて、忙しいのに電話でも話をしてくれて、とっても とっても 心の支えになってくれました。


お通夜で すでに長くなってしまったので、また明日ね


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