★ 夏海の日記 ★

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2001年10月24日(水) 私の視線 夫の視線

先週の土曜日に、久しぶりに『写真を撮りに』出掛けました。昔はよく撮影に出掛けたのですが、夫の撮影熱が冷めてしまったので、最近はあまり写真を撮ることを目的に出掛けることはなかったんです。
今回は、岐阜県にある、旧中山道の宿場町であった、妻籠宿と馬籠宿へ出掛けました。妻籠・馬籠と言えば、五平餅!(固めに炊いたご飯を軽く潰して、平ぺったい棒に小判型にくっつけて、ごま&くるみ&しょうゆ&みりん で作ったタレを付けて焼いたもの)と、言うことで、夫は五平餅三昧を堪能し、新蕎麦の季節ってことで、お昼ご飯は、蕎麦と川魚の塩焼きも堪能しました。歩く(写真を撮る)→食べる→歩く(写真を撮る)→食べる→の繰り返しで、絶えずお腹が一杯だったような気が...^^;(体重は1kg増 何てこった!)

夫と写真を撮りに出掛けるといつも思うの。人の目線は、千差万別なんだなぁって。夫が見たいもの、興味がある視点と、私が見たいモノ、興味がある視点が、全然別物で、同じもの、同じ場所、同じ時間に撮ったものでも、出来上がった写真は、全然別のものになってるの。
感性が違う以前に、見えているものが違うの。
同じ時間に同じ場所にいるのに、夫の写真には、私の見ていないものが写ってる。夫も(あまり褒めてはくれないんだけど)私の写真を見て、「おっ!」とか言ってくれる。
今回も、同じ夕日を撮ったものを見ても、夫は夕日をメインに、私は景色を撮ることが中心だったし。
夫は昔写真を結構本格的に趣味にしていたので、構図とか被写体とか背景の飛ばしかたとか、『作品』にする取り方をする。(だから、私には解らない写真も多いの)
私は、頭の中に絵があって、その絵を撮りたがる。明暗とか、深い森の感じとか、見上げる構図とか。

私と夫とは、身長が35cmちょっと違う。私はちびっ子なので、絶えず見上げて生活している。だから、見上げる構図が好きで、下から上へ見上げる写真をよく撮る。自分が低いのに、しゃがんだり寝そべったりして、どんどん低い位置から見上げたりして(笑)普通に撮っても、迫力があるのは、私の背が低いせいもあるかもしれないな。(普通の人の視点よりも、子供の背の視点?)
夫が見ている景色と、私の見えている景色は全然別なんだろうな〜。もっと背が高くなりたいなぁって、よく思う。空気の流れ加減で、夫の嗅いでいる匂いと、私の嗅いでいる匂いが違うときもあるの。夫は私の目線になれるけど(時々、「ここから見てみ〜」って、私の目線で見させたりするから)悔しいことに、夫の目線でみることができない。(三脚でカメラを固定して、抱っこして見せて貰ったことはあるけど)

でもね、同じ高さの身長だったとしても、私が撮る写真と、夫の撮る写真は、全然違うものだと思うの。だって、夫と私は別々の人間だから。
私は私の写真を、夫は夫の写真を。
つまり、オリジナリティーって、そういうことだと思う。
私の目に映ってるものが、相手の目に映ってるとは限らないし、逆もまた然り。

写真を撮るってことだけで、色んなことを考える。
今回、公開したけど、私の脳味噌や、心の中を見せたみたいで、ちょっと恥ずかしいです。
自分に余裕がないと、ものを見る眼も無くなってしまいます。
そこに存在しているはずの『何か』が目に映らない。
1年前、辛くて苦しんでいたある日、車を運転している途中で、何気なく視点を上げたら、美しい雪山が遠くに見えた。その山はずーっと前からそこにちゃんと存在していたのに、その時初めてその存在に気が付いたんです。
見えるってことは、本当に幸運なことです。
見える心の余裕があって、初めて見ることができるのだから。

見る
視る
観る

心も頭も柔らかく、肩の力を抜いて、季節を感じることができるように、
平和に暮らせたら良いね。それって、幸せだよね。


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