| 2004年08月25日(水) |
Yoshiki@スレた考えの持ち主。 |
私は二十四時間テレビがあまり好きではない。ないよりはあったほうが国民が慈善ということを思い浮かべやすくはなりそうだ。 なんで好きじゃないかと言うと、なんかこう、「あざとい」からだ。あ、芳屋のアクセスが減った。なんか、無理やり感動する状況を作って、涙を流させる。「さあ泣け。」といわんばかりに。感動とは、意識しないところに存在・発生するのであって、作るもんじゃない。じゃなきゃスポーツなんて、すべて八百長試合にすれば感動を呼べるじゃないか。野球の試合すべてを九回裏、二死満塁三点差にすれば感動するんじゃないの? こんな「あざとさ」があるから見ない。最長で五分くらいしか見たことが無い。サライのメロディーも知らん。だがこんな私でも確かに100キロ走って、時間内にゴールできたらそれはそれで走者の健闘をたたえたい。しかし、それがなんなのだ?募金とつながるのか?よくわからない。毎朝、道行く人が捨てていくタバコの吸殻を五十年間拾い続けている人をいつものニュースで紹介した方が僕はよっぽどジーンと来る。こないだの試験旅行で一緒になった人も「行き先が不明瞭な募金はしない」と言っていた。その人は支援先にお金が行き着くまでにマージンが存在するからではなく、「中途半端な支援」になりそうというのが理由だった。ここから下は彼の意見をまとめた物である。 恵まれない国に学校を建てる。日本のボランティアが沢山手伝いに行く。現地には彼らのための(衣)食住がそろえられており、建築資材も用意されている。これは異国の地に大工というレジャーをしに行くのと同じじゃないのか?完成すればパーティが催され、参加者は感無量のまま帰国する。しかし、その後が大変だ。今まで現地人の生活の中に存在しない物がいきなり存在したことで、その維持にかなりの負担が伴う。電気の無い村に電気を通しても、使わなくても生活できるし、使うと余分なお金がかかってしまう。これらは果たして適当な(proper)支援なのだろうかと。 でもまあ、彼は公開中継所でサライを歌って帰ったと言っていたが。そこで、私は教育こそが最大の支援物資だと思う。物質の支援ではなくて、ソフトウェアの支援こそが最もいいのではないだろうか?支援を欲している人がちゃんと将来を考えられるような。もちろん、すべてのモノがそろっている日本にも教育は大いに必要だ。むしろ、日本こそが世界の中で一番「支援」されなければならない国かもしれない。
PS さらに彼の言うには、「EUでは一クラス標準人数は12人だとしており、アメリカでは20人が最適だと言っている。日本は改革されそうなところでさえ30人。遅れてるね。だけど、日本のすごいところは、40人でもできちゃうところだ。」と。もっとすごいことを色々言っていたが、それはまたの機会に。
|