| moonshine エミ |
| 2006年02月20日(月) 何を見るか、どこまで見るか | ||||
| 8時〜18時、仕事。 ほぼ午前中いっぱい、部内で密室にてみっちり打ち合わせ。先週に続いて2回目になる。人に話すとほとんど笑い話になるが、遂行しろって言われたら、泣いて裸足で走って逃げたいくらい、地味・直接は金にならない・なのに骨だけは折れるというどうしようもないミッションだ。うちは上司が鷹揚な人なので、ミーティングでの発言は年齢・役職に関係なくとても自由。しかし、だからこそ、思いつきで散漫なことを言ったり、変に偏って問題点だけ指摘したり、人を論破することに主眼をおいたりする発言をしないようにすべきだな、と思った。質の高い参加者でありたい。そして、それって案外、難しいことだったりする。 今朝読んだ日経新聞に、キャノンの御手洗会長とどこかの大学の先生の対談が載っていて、おもしろかった。と言いつつ具体的に説明できるほど覚えてないので、明日の朝もう一回読もうと思うんだけど、「当事者意識の大事さ」みたいなことについてが特に印象的。 これは読んで私が勝手に考えたことだが、たとえば、「自分のノルマ・部署のノルマ」「自分がいくらお給料をもらえるか」、あるいは、「自分の生活・家族の生活をどうやって充実させていくか」っていうことについて当事者意識をもつことは、割とクリアしやすい。でも、その先についてはどうか。異なる性別・年代・環境で育ち、それぞれ異なる仕事をしている、そしてそのうえで成り立っているのがひとつの会社だ。そのうえ、お客さんとか債権者とか株主、地域・社会の人々がいる。(それを普通、ステークホルダーっていうんでしょうね。) ひとりの従業員が、そのどこまでに「当事者意識」をもてるか? それが、その人のレベルを測る上でのひとつのものさしであり、従業員・役員ひとりひとりのレベルの集合値が、その会社のレベルってことになるんじゃないかなあ、と思う。 もちろん、組織の中で自分に課せられた職務を果たすことが、従業員の第一義ではある。売上や利益の数字も大事だろう。でも、それが目的じゃなくて、結果としてついてくる、というのが理想なんじゃなかろうか。理想論だけでは仕事なんてできやしないとしても、私は、少なくとも、経営者とか役職者っていう人々には、そういう理想を掲げ、経営者であれば理想を社員に向かって啓蒙し、上司ならば自分の部署の実務に落とし込んでいけるような能力を持っていてほしいと思う。 そして、私のように権限も経験もない、一従業員であっても、「自分のことだけやってりゃいいや」じゃなくて、自分が中心でも半径をどんどん広げて、広い視野で物事を見る能力をつける必要性っていうのは、あるなあと思う。ていうか、それができる人とできない人とでは、絶対、差がつくんじゃないかね。 そういうのって難しいように思えるけど、結局は「想像力」とか「分析力」、そして「思いやり」の世界なんじゃないかなーと思うんだよね。 ただ、日々の出来事に一喜一憂できるとか、小さな楽しみ、身の丈にあった生活に充足できることにも、重点をおきたいとは思うのです。足元しっかり固めたい、っていうか。 遠くまで見る、ことと、近くのものを見逃さない、ということ。人生においては、両者に矛盾は生じない。と、信じたい。 |
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