moonshine  エミ




2003年07月18日(金)  綾なす愛憎で結ばれている

 また、雨の金曜日。
 今日は母の誕生日であったので、一年のうち数えるほどしかない、家族でのちょっとした夕食会を外で催した。
 姉が別居しているからというだけでなく、我が家ではもう長いこと「家族そろって食を摂る」という概念がないので(しかしそういう一事で物事の良し悪しを判断なさらないでいただきたい処。)、4人で顔を合わせて食べるというのは新鮮なような、あらたまってしまってむず痒いような、妙な心持ちである。食べ物はおいしかったです。

 早くも還暦を迎えた母を前にして思うのは、私ってやっぱり親孝行な娘じゃないよなあ、ということ。一緒に住んでいても親と全然重ならない生活をしている。連れ立って外出することは無論、毎日の出来事も日々考えていることもほとんど話さないし、家事なども私は母と一緒にではなくて一人でやりたいタイプ。まあ、これはもう、ある種しかたのないことのような気もする。であるからして、私はむしろ親とは離れて暮らすのが向いているように思うのだが、親のほうはそれでも子供と一緒に暮らしたいようだ。その気持ちもまたよく分かる。
 
 大学のころ自活していた(ここが密かなポイントで、私は仕送りをしてもらっていなかった。)ので、「離れて初めて親のありがたみが分かる」という定型句もよく理解できるのだが、しかし離れているほうが真に親孝行な気持ちになるかというと必ずしもそうでないことも身をもって知っている。

 一緒に暮らしていない、イコール、してあげられないことが多い、ということから不安や心配が募ることは多い。だが逆をいえば、心配や不安の気持ちを心中で温めていればそれでよいということでもある。私が家族と離れて暮らしている間、実家では姉と夫が不仲になり、小さな子供を手放してまで離婚するという(家族にとっての)大事件が時間をかけて進行していた。私への電話口で母が泣いたことも何度もあった。もちろん私も胸を痛めていたが、その一方で私は日常の大半で大学生活を謳歌し、親の目を憚らずアルバイトや遊びに精を出していたのである。あの時期に実家にいたなら、そうはいかなかっただろう。私もまた何かしら、家族の荷物を背負って生活しなければならなかったはずだ。
 
 再び実家暮らしをしている今、親にいろいろなことをしてもらっている。
 いつでも何でも話し合い睦み合うような間柄ではないが、うちの両親はたいへん愛情深い性質だし、そうやって育てられた私たちもそれなりに愛情深いタチのつもりである。うちは基本的に寄るべない核家族だから、各場面、それなりに助け合ってもいる。
 が、同時に、実家暮らしであるがゆえの面倒もそれなりにある。
 大げさな物言いだが、家族同士でも相容れない部分というのも、やはりある。離れて暮らしていれば目をつぶれるようなことも、一緒に暮らしていると、お互いに不満がたまることもあるのだ。
 まあしかし、そんなものかもしれない。
 家族というのは、美しい愛情だけでなく、もっと濃い、どろどろした、生活にまみれた、こもごもの愛憎でしっかりと結ばれているものだ、というのが実感かな。
 
 何をだらだら書いているんでしょうね。
 兎にも角にも、私にとって、家族というものは結構なウイークポイントであり、且つアイデンティティー(そんなもんがあるのかどうか分からんが。)最大のルーツなのではないかと。うちは、ギリギリ平凡といって差し支えないかな、くらいの、けっこう波瀾万丈な家庭なのです。 
 まあ、平凡な家庭なんて、ないものかもしれないが。 

□■□

 さて、『一年前の日記を読み返す』企画、静かに実行中。

 一年前の今日は、前日に見た映画「スパイダーマン」の感動を反芻中。
 だから一年前の昨日は、有休をとって「スパーダーマン」を見て感動爆発長文を書いている。
 ちなみに、一年前の一昨日は、会社の上役においしい焼肉をごちそうになっていた。

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 さて、明日、しん氏が福岡に帰ってくる。
 どんな連休になりますことやら。
 ていうか、いま、すごい雷雨です。怖いんですけど。
 飛行機とぶんでしょうねー、明日の朝。





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