moonshine  エミ




2003年06月18日(水)  芥川龍之介と宮沢賢治。としん氏。

 部署(というか部長宛)には、いろーんな会社からの各種ビジネス系冊子が無料進呈されてやってくる。
 無料とはいえ、全ページカラーで紙もしっかりしていて、ページ数も多く、しかも中身も充実しているようなものも意外と多い。
 回覧でまわってくるその全てに目を通すことはとてもできないが、目次や見出しをぱらぱらめくると、時々「おっ」「へえっ」という文章に出会うことがある。

 今日まわってきた冊子、いつもそうだが部署のほかの人は誰も二度とは見ていないので、ちょっと家に持って帰ってきてみた。
「スミセイ ベストブック 7月号」
 やるねースミセイ、こんな本の情報誌を、毎月つくってるらしいよ。
 そんな金あったら、保険料下げろっていう人もいるかもしれんけど・・・。
 本のレビューや、ビジネス人のインタビュー、エッセイなどなど、なかなか興味深いものばかりである。
 とりわけ心ひかれたのは『羅生門』と『宮沢賢治』についての、数ページに及ぶ文章。
 どちらもつい最近、しん氏と話していてチラと話題にあがったものだ。

 ・・・とここで、30分ほどしん氏と電話。
 思わぬグッドニュースがあるかもしれない。がっかりするといかんので、期待はせんどこう、ああ、でも。

「ねー、会社に行くとき、どんなカッコしてるの?」
 なんて興味津々で聞くわたし、なんか、男女逆かも・・・。
 いや、しんちゃんはスーツ族じゃないもんだからさー。
 愛知はほんと、独立国ですな。 
 
 さて閑話休題。
 しん氏はもともと理系なので(なので、という因果関係はないのだろうが)本はほとんど読まない。が、ごくたまに、思い出したように読んでいるようだ。
 彼の読後の感想を聞くのはけっこう面白かったりする。
 たどりつく場所は同じでも、通る道順がまったくちがうという感じ。道順、というよりも、パッと感覚で着地するようだ。

 最近は『羅生門』を読んだらしい。
「なんかよくわからんかった」
 と言っていた。正直モノだ。
 なので、
「あ、私もね、去年、宮沢賢治を読んだけど、なんかよくわからんし、あんまり面白いと思えなかった。
 まちがいなく名作のはずなのに、良さがわからん自分がショックやったよ」 
 という、話をした。  
 ・・・って、文学的素養のない会話だなー。
 そう、しんちゃんも宮沢賢治を読んでいたんだ。
「なんかねー謎の木があって謎の歌が聞こえてきて、
 謎の木のそばにいる謎の子供ふたりに
『あなたが歌っていたんですか』と聞いたら違うっていわれて、
 そこに謎の人物がやってきて、
『あの歌は君が歌っていたんですか』ときかれて、
『君は君だから、君なんです・・・』みたいな謎の会話がかわされて、
 なんか、ようわからんかった」
 と。謎だらけだ。
「でも、なんかおもしろい感じではあった。非現実をとおして現実のことをいってる感じ」
 と。
 
 さて、そんな謎だらけの宮沢賢治について、この冊子の文章では
『賢治は科学者と宗教家の顔を持つ。そして自然と親しみ自然を愛する顔も。
 賢治はその自然を科学の力で克服しようとしたが(エミ註:宮沢賢治は農業技師でもありますからね。)及ばなかった。
 科学の限界を知って、その限界を超えた現象に対して信仰の力に頼らざるを得なかった。
 その信仰の精神は自己犠牲にある。
(中略)
 少年ジョバンニは、溺れた友人を救うために死んだカムパネルラとともに銀河鉄道に乗って旅をする。
 現出するのは幻想的で美しい死の世界である』
 と書いている。
 すごく、おもしろく読んだ。
 しんちゃん並びにこの文章のおかげで、私の中で、再び賢治に対する好奇心がアップ。

『羅生門』については、この冊子の文章では、芥川の原作と、ベネチア映画祭でグランプリを受賞した黒澤明の映画とを比較しながら書いてあった。
 こちらも面白い文章だった。
 人間のエゴイズム、陰惨な心の闇を容赦なく描いた原作に付加して、黒澤の映画ではヒューマニズムを描く意思をはっきりと見せている。
 それが、殺人事件を見た売り子が、羅生門に捨てられた赤ん坊を拾って育てるというラストであるという。
「俺のところには、子供が6人いる。しかし、6人育てるも7人育てるも同じ苦労だ」
 進んで難儀を背負うこのセリフに、黒澤のメッセージが込められていて、だからこそあの映画は名作として世界に認められたのだって。
 ほー、ってな話だ。
 ただの薀蓄ではなくて、作品や作家に対する興味を盛り上げてくれる文章であった。

 私は原作の『羅生門』の、
 老婆を殺した男が底知れない闇に消えていく、
 という救いのないラストに身震いするような衝撃を受け、
『こういう表現者もいるんだなあ!』と芥川龍之介という作家自体に畏敬の念を感じたものだったが、
 原作の闇とは真逆の味つけをした映画も、まったくいいと思う。

 原作のあるものが映画化されると 
『原作の良さを描ききっていない!』とか、
『原作と筋が変わってる!』とかいう非難を耳にすることがある。
 原作への愛ゆえにそういいたくなる気持ちもよくわかるのだけれど、
 映画は原作を忠実に再現するためにつくられるのではなく、
「原作から何かを感じた監督が、自分の感じたものを表現する場」のように思っている。
 だから、大好きな小説が映画化されたもの、宮本輝原作の『道頓堀川』や『優駿』や、吉本ばなな原作の『キッチン』や、花村萬月原作の『皆月』を見て、筋もオチも違っていても、全然、腹立たしさなどなかった。
 自分と違う人が、映画という原作とは違ったフィールドで表現しようとしているのだから、いいのだ。

 そんなわけで、原作が好きだった『GO』(窪塚のやつね)や、『御法度』(司馬遼太郎の原作)や、『たそがれ清兵衛』(これは原作を読んでないけど、大好きな藤沢周平が原作だ)など、今後も機会があればビデオを見ようと思っております。

 見たいビデオといえばいえば今日、おすぎがすすめるディズニー映画ベスト15、というのをテレビで見た。
 こちらも俄然、見たくなった。わんわん物語とかシンデレラとかノートルダムの鐘とか。

 と、次々生まれる興味関心に素直に書いたら、ばらばらになった今日の日記でした。





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