moonshine  エミ




2003年03月26日(水)  『限りなく透明に近いブルー』 狂乱・空虚

 今日も会社でいやな場面に出くわす。
 次の機会には反撃しようと思います。

 最近、「ムーンシャイン☆エミのマル秘おセンチ日記」と化しているが
(『吉井和哉のマル秘おセンチ日記』のパクリです。
 この本ね、大好き! イエモン吉井氏のブレイク前後にかけて連載されたものの単行本化。
 これ、ロッキンオン社の本で、これまでに一番売れたものらしいよ!
 読みたい人いたら貸すよ。)
 日記を読んでる皆さん、あんまり気にしないでね。しないか。
 私はちゃんと生活してますよ。
 BBSにも遊びに来てくださいな。

 しん邸からもらってきた本のうちの一冊、
『限りなく透明に近いブルー』(講談社文庫)をここ3日ほどの通勤中に読んでいて、薄い本なので電車読みだけで本日読了。
 言わずと知れた、村上龍のデビュー作。
 1976年に群像新人文学賞、芥川賞も受賞しています。

 再びこれを読む日が来るとは思わなかった。
 高校生のときに、図書館で借りて読んだことがあったのだ。
 そのときは、ショックは受けたけど心に響きはしなかった。
 割とマセガキだった私だが、さすがにこれには嫌悪感に近い感情をもったことを覚えている。
 こんなことまで書かなければいけないのか、いったい何のために? 誰のために? なんの生産性も発展性もないじゃないか。
 なんて、思っていた。
 元気づけられるもの、向上心をもたせてくれるようなもの、人間のつよさや美しさを描いたものを摂取することに腐心していた高校時代。
 若かったんだね。
 ジム・モリスンもジミヘンも、ウッドストックもまだ知らなかった。
 
 挫折するかもな、と思いながら読み始めた。最初の50ページくらい、やっぱり苦痛だった。
 あらすじなんて、覚えちゃいなかった。
 そりゃそうだ。ストーリーをなぞっていくような作品ではない。
 苦痛を越えると、あとは吸い込まれるようだった。
 貪るみたいに読んで、電車が駅に着くのが憎らしくなって、でも、ああ、これ以上読まないほうがいいな、とバッグにしまう数日間。
 この本そのものが麻薬! 中毒にならないように少量ずつ喫んだというわけだ。

 夜毎の狂宴。
 手に入る薬はなんでもかんでも打って噛んで、誰かれかまわず交わりあう。
 この物語では、そこいらじゅうにドラッグがあって、血も流れて、食べ物といえば腐ったものしか出てこないし、しかもそれを食べては吐くし、部屋も壁も一面、生ゴミやカビや汚い虫たちや体液に塗れている。
 読むとすえた臭いがしてきて、吐き気すらもよおすほどだ。
 けばけばしい女たちの化粧や衣装、閃くストロボライト。黒い肌と黄色い肌。
 ドアーズのレコードが何度も流される。「Light My Fire」の狂ったようなキーボードの音色と、ボーカルのジム・モリスンの暗い声が私の頭でもガンガン鳴った。
 たえず目の前にある幻覚。
 
 それなのに、「何も無い」という感覚が常に流れている。
 どこにも行けない。
 骨が折れたり、警察に捕まったり、こいつらダメだ、もう終わりだ、と何度も破滅に向かうシーンがあるのに、また朝が来る。
 そして、朝が来ても何ひとつ変わらない。
 翌朝も幻覚は醒めないまま、また夜になる。また狂宴。また朝。朝だろうがドラッグ漬け。
 出口なんかない。
 それが、地獄のようなのかというとそうではなく、どこか淡く澄んだ印象の本だった。
 その淡さこそが、新しい地獄の形だったのか。
 ああ、だから、限りなく透明に近いブルー、だ。
 醜悪なのに惹かれる美しいもの。

 これを書いたとき、村上龍は23歳だったという。
 なんだか分別くさくなった、おっさんになった龍さんしか知らなかったので、しみじみとした。
 好きか嫌いかにハッキリ分かれるだろうが、
 とにかく世間をあっと言わせた作品。
 人が書かなかったものを書く、驚かせるって、すごいと思う。
『カルキ ザーメン 栗の花』なんて、かわいいもんなのかもしれない。

 と、やや強引な話運びだが、ニュース・ステーションの椎名林檎を見た。
 たどたどしささえ感じさせるトーク部分。
 それでいい、彼女は24歳で、テレビに映り慣れた業界人じゃないんだから。
 魔性の女のように不遜な態度を取ることだってできただろうに、ああやってテレビに出た。
 それも彼女の意図した表現か。
 久米さんのインタビューは、痒いところに全然手が届かなかったが、まあニュースステーションだからあんなもんかね。見てるのはおっさんという設定か。
 歌は細かったけどしゃんとしてたな。





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