| moonshine エミ |
| 2003年03月20日(木) 戦争反対と叫ぶけど | ||||
| 始まった戦争についての、いろんな人の考えを見たり読んだりの今日。 やっぱり森博嗣が書いてることが、またまた目からウロコだった。 昼休みが終わって席に戻ると、ゆうきちゃんからのメールが届いていて、それに書いてあったことにも、うなずいた。 戦争はぜったいイヤ。許しちゃいけない。 だけど、戦争がないなんてことが実現したことはないのだ、人類の歴史の中で。 やっぱり、ただ祈るだけでは、反対するだけでは、なくなることなんてないだろうと思う。 もちろん、平和を願うこと、戦争に反対を表明することは、とても大事だけれど。 あーあ。 いま、いろいろ書いたけど、消してしまった。 何を書いても、軽々しい。むなしいね。 私だってまだこの日本で平穏を甘受してるんだもの。 外で見てるだけ、ガソリンが高くなるとか、その程度の影響しか受けないんだから、なんとでも言えるよな。 じゃあ、北朝鮮が攻めてきたら、ただ無抵抗に日本という国は蹂躙されるの?て聞かれたら、やっぱりそんなのイヤだ。こっちが話し合いしようとしてるうちに、どんどん殺されるなんてイヤだ。撃退してほしい。 結局、アメリカに守ってもらうしかないんだもんね、現段階では。 有事になって、たとえ職業軍人だからって、命をかけて日本を守るために戦う(はずの)アメリカ兵を見たら、「戦うなんてバカげてる」って言えるのかな。 民主主義の教育もなく、不毛な土地、厳しい自然環境生活環境、娯楽だって乏しく、血で血を洗う民族の歴史、父や母や子供を殺された人がたくさんいる環境で生まれて、自分達の信仰、信念が正しいんだとだけ教えられて育った子供が、大人になって武器を手にとってまた戦おうとするのを、 ひとまず平和で衣食住の心底の心配をしないでいい私たちが「野蛮な民族」なんてとらえ方をしていいんだろうか? 当然、戦争を肯定してるんじゃない。 それと今回の戦争とは違うし。 でもな。 人々が殺し合いをやめないのは、戦わざるを得ない理由があって、 それについて考えないといけないんじゃないかな。 「戦争反対、とにかく反対!」ていう気持ちは絶対必要だけど、 「すべての戦争に反対」するなら、すべての戦争について考えないといけないような気がするんだ。 戦争や紛争や権力の犠牲になって死ぬ人だって世界中にたくさんいるんだから、ある一つの戦争についてだけじゃなくて、すべての地域、すべての状況の犠牲者について、同じように考えないといけないと思うんだ。 武器を捨てて愛しあおう。 もちろんそれが誰にとっても理想だけど、じゃあなぜそれができないのか?っていうところが重要なんじゃないの。 それができない人たちの生活に思いをはせないといけない、というか。 そこを考えるのが、他民族を理解しようってすることなんじゃないの。 平和な世界で暮らす人間が、「戦争をやめよう!」ってそれだけを訴えるのって、「あなたたちを解放するために空爆する」っていうのと同じくらい、当事者にとっては空虚に聞こえるんじゃないかな、なんて思ったりする。 でもやっぱり、私たちのような草の根からは、やっぱりひとまず戦争の悲惨さを訴えて平和を訴えていくのが現実的なのかな。願いは通じると信じて。 ああ、それに、権力者を裁くのが権力者ってとこに歪みもあるし、結局戦争を起こすのは権力者だし、権力者を正しく封じ込める手段を考えないといけないのかな。 考えれば考えるほど、簡単に言葉に出来ない問題だ(これだけ書いといて何を言う、て感じやけど) こんなことをウダウダ書けるのも、北朝鮮の脅威があるとはいえ、まだ震えるほどの危険を自分の身に感じているわけじゃないから。 でも、危険が迫ったら何も考えられないんだから、 日本は今こそ、みんなが戦争と平和について考えないといけないとも思うんだよな。 日常に埋もれてる私だけど。 |
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