| moonshine エミ |
| 2002年08月09日(金) ナガサキの断層 | ||||
| 日本人なら忘れてはならない日というのがある。 その一つが原爆記念日だ。 一昨日から3日間、西日本新聞で 「ナガサキの断層」 という記事が掲載された。コラムというのか、ちょっと違うな・・・。 新聞社の方が書いたようだが、これは、私の新聞史(?)でナンバー1に輝いたといってもいいほどの、衝撃の連載だった。 「長崎の平和運動が、広島ほどに団結し高揚しないのはなぜか?」 ということについての連載だ。 以下、エミによる記事の要約。 原爆投下中心地の浦上地区(浦上天主堂で有名)には、12,000人のカトリック信徒と1,300人の被差別部落民が住んでいた。 江戸時代の禁教令以来、部落民はキリシタン監視の役割を担わされ、歴史的に両者は共に差別されるがわにありながら、互いを憎しみあってきた。そうした状況を原爆はさらに悲劇的にした。 浦上地区と長崎市街地とは山で隔てられているため、市街地では被害は比較的軽かった。市街地ではなく浦上に落ちたのは天候の条件のためだが、一部の市民は 「市街に落ちなかったのはお諏訪さん(市街地の諏訪神社)が守ってくれたため」 「浦上に落ちたのは、お諏訪さんにお参りしなかった“耶蘇”への天罰」 と言って憚らなかった。長いキリシタン迫害の歴史の中で醸成された、一般市民の異教徒への差別観。平時の心優しい善人が、極限状況に遭遇すると悪魔のような差別性を剥き出しにする。 平和記念像は、犠牲者への冥福は当然としてもそれだけで建立されたのではない。観光長崎の新名所を作りたい市当局と、像制作で永遠に自身の名を残したい彫刻家の自意識。 「なぜ長崎の人はもっと怒らないのか。原爆まで妙な観光にしてしまって」と、『差別と原爆』について書き続けた作家は嘆く。 ああ、できることなら、全文を掲載したいくらいです。 原爆という人類の最も悲惨な出来事、それがもたらす様々な形での新たな悲劇。人間が免れ得ない差別意識を明確にしたこの記事。胸に迫った。 歴史にも人の心にも、必ず闇は存在する。それを克服しようとするために、教育とか言論が必要なのだ。 そして長崎の原爆は二発目だ。 いかに戦争終結のために原爆投下が必要だったとアメリカが主張したって、広島のわずか3日後に、違う種類の(ウラン型とプルトニウム型でしたっけ・・・。曖昧な知識で申し訳ない)原爆を落としたことに、戦争終結のためという言い訳が通用するだろうか。 私たちはもっと知らなければならないと思う。 小中学校では戦争の悲惨さを平和学習という形で習うけれど、たとえば高校生や大学生、そして社会人と大人になっていく過程で、戦前戦後の歴史的背景や、こういった人間の心の病理といったものを、日本人全員がもっと深く学んでいくような教育の在り方を、考えなければならないと思う。 もう私たちの世代では、親だって戦争体験がないんだから。親から子、祖父母から孫へと口移しで伝えていくことに限界が近づいているんだから。 |
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