快賊日記「funnyface」

2003年10月13日(月) 魔が差す、時。

見えない物を見ようとする。
否、見えないからこそ追い掛ける。
闇に目を凝らし、見えない物を必死で
探し出す。そんな子供だった。
なぜ幼い頃の私はあんなに臆病だったのか。
よく夜中に一人でトイレに行けない子がいるけれど、
私は昼間でも怖かった。何にそんなに怯えているのか。
一人になる事が怖くて怖くて。
なのに家族に囲まれて一人っきりになるのが好きだった。
私の恐がりはもうそれはちょっと尋常ではなくて。
友達の昔話を聞いてもやっぱり普通じゃない程の
恐がりだったんだと思わされる。
なぜだろう。私には目に映る全ての物に命があるように
思えたのだろうか?それら全てに悪意があるように。
両親の部屋に花の絵が飾られていて。それがどうしても
私には生き物の絵に見えて仕方なかった。
今でも思い出せる。私を凝視するそれは私にとっては
恐怖以外の何でもなかった。でも誰に言っても花以外の
何物でもないと言われ凄く苦悩したのを覚えてる。
その絵だけでなく、小さい頃の私はよく一人で何かを
見つけていたらしい。一人でブツブツいう子供を親は…
そりゃもう嫌だったと思う。
今ではちょっと慣れてしまったというか。
相変わらず怖がりなはずなんですが、そう見られず…。
あんまりに子供の頃に怖がりすぎて麻痺しちゃったのか
恐怖心が表に出にくくなってるみたいです。
子供の頃は余分な知識や知恵がない分、見た物を見たまま
信じてしまい、それがそのまま恐怖に繋がってたんだろうと
思う。今は気のせいだとかあるわけないと思える物も
あの頃は本気で信じて本気で泣いていた…。
今の社会や現実で生きて行く為には大人になる事が大事で
何かを見て見ぬ振りしたり。そうしていくうちに本当に
昔見えてた物が見えなくなっていったりして。
それも大事。でもあの頃と同じような気持ちでいる事も
私達の仕事にはちょっとだけ必要なのかもしれない。
言ってみれば目に見えぬ、紙に書かれた言葉を
本物の気持ちにする為には。見えぬ物に目を凝らす事が
とても大切なのかもしれない。


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