快賊日記「funnyface」

2002年11月11日(月) 罪と罰と懺悔と贖罪

愚かな行為だと知って止められない事が人には
あるのだろう。それが他の物を傷つける行為だと
いうのに…。そこにあるのは人間の本能なのか。
酷く残虐な行為を繰り返しなおその咎を受けないのは
相手が人ではないから?その猫はからだ半分が焼け爛れ
それでも生きていた。耐えたのか堪えたのか分からない。
もとより危害を受けた時に動物の心にそういうった感情
の流れが発生するのか分からない。でも痛みは、ある。
私達のほんの十分の一の体の彼らが受けた痛みとは。
火傷は私たち人間にもかなり痛いものだと思う。
それは傷の大小にかかわらず。しばらく痛みが引かないし
ヒリヒリとうずくような感覚も鬱陶しくて嫌になる。
それをあんなに小さな生き物が受ける。しかも人間の本能の
中にある残虐性というとても小さく始末に負えない一塊の
ために。そしてそれは理性というもので押さえられるはずの
ものなのに。彼らはそれでも人を責めない。種というものは
面白い物で例えば増えすぎれば自ら死に至るという。
ならば人の手によって傷つけられ続けた生き物達が
本能によって突き動かされるならば全ての人間を憎んでも
罰はくだらないだろう。と、そこまで考えて情けなくなる。
自分も人なんだ。そういう行為を平然とする人と同じ人なんだ。
そしてきっと同じ物を持っているんだ。吐き気がする。
だからこそひたすらに動物を可愛がる。こんなにも可愛いのにと
たくさん優しくする。それはまるでいじめられた子達の代償。
いつか嫌なテレビのニュースを見なくてすむ時が来るのだろうか。
町で追われるように小さくなって生きてる彼らを見なくて
すむようになるのだろうか。世界中の悩みを一人でかかえるような
そんな驕りを持つつもりはないけれど。それでもやっぱり
懺悔をしてしまう。愚かな人の行為に。少しでも彼らが傷つけ
られないようにと。いつだって許されるのは人間の方なのに。


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