愚かな行為だと知って止められない事が人には あるのだろう。それが他の物を傷つける行為だと いうのに…。そこにあるのは人間の本能なのか。 酷く残虐な行為を繰り返しなおその咎を受けないのは 相手が人ではないから?その猫はからだ半分が焼け爛れ それでも生きていた。耐えたのか堪えたのか分からない。 もとより危害を受けた時に動物の心にそういうった感情 の流れが発生するのか分からない。でも痛みは、ある。 私達のほんの十分の一の体の彼らが受けた痛みとは。 火傷は私たち人間にもかなり痛いものだと思う。 それは傷の大小にかかわらず。しばらく痛みが引かないし ヒリヒリとうずくような感覚も鬱陶しくて嫌になる。 それをあんなに小さな生き物が受ける。しかも人間の本能の 中にある残虐性というとても小さく始末に負えない一塊の ために。そしてそれは理性というもので押さえられるはずの ものなのに。彼らはそれでも人を責めない。種というものは 面白い物で例えば増えすぎれば自ら死に至るという。 ならば人の手によって傷つけられ続けた生き物達が 本能によって突き動かされるならば全ての人間を憎んでも 罰はくだらないだろう。と、そこまで考えて情けなくなる。 自分も人なんだ。そういう行為を平然とする人と同じ人なんだ。 そしてきっと同じ物を持っているんだ。吐き気がする。 だからこそひたすらに動物を可愛がる。こんなにも可愛いのにと たくさん優しくする。それはまるでいじめられた子達の代償。 いつか嫌なテレビのニュースを見なくてすむ時が来るのだろうか。 町で追われるように小さくなって生きてる彼らを見なくて すむようになるのだろうか。世界中の悩みを一人でかかえるような そんな驕りを持つつもりはないけれど。それでもやっぱり 懺悔をしてしまう。愚かな人の行為に。少しでも彼らが傷つけ られないようにと。いつだって許されるのは人間の方なのに。
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