快賊日記「funnyface」

2002年09月30日(月) 不都合な正義

5千の民族があれば、5千の正義があるとある人はいう。
尤もだと思う。正義とは本来そういうものなのか。
土地によって違っていれば、時代によって変わるもの。
正義に外れれば法にも触れる。
正義は憲法と似てなくもない。
精通してるという事なのだろう。
正しくない行いをすれば罰せられる。
憲法は正義の上に成り立ち、それを守るもの。
なのに、いや、だからなのか。
国によって時代によって正義は違って来る。
おかしなものだと思う。これは決していけない事だと
誰しもが思う事でも、他の誰かには正義になる。
たとえば親殺しは死刑だという。しかし子供殺しは必ずしも
そうなりえない。でもこの定めには頷ける。
親を殺すなんてもっての外。どんな親でも。
といって、子供ならばいいというわけでもないのも知っている。
ある国では子供の基礎学習である足し算・引き算の例えに
拳銃を用いるらしい。この拳銃とその拳銃を足したらいくつ?
または埋まってる地雷と爆発した地雷の数の差し引きで
引き算を覚えたり。その学習のうらにしっかり見えてるのは
「戦争」の二文字。それを理解出来る子は利口であり
その心を大きく養うことは正義であるという。
確か自分が子供の頃のそれは果物や本だった。
拳銃や地雷なんて言葉は決して使われず、
もし使う大人がいればこの国では悪だろう。
これを始めてしった時、衝撃が走った。
言うところのカルチャーショックというやつだと思う。
しかしそれ以上に何とも言えない感情がある。
この小さな国の小さな人間関係でさえ、
人と違う正義に唸る事もしばしば。
叫びたくなり衝動に口をふさがれることだって、ざら。
ならば、ここまで違う異国の正義とどう戦っていけるのだろう。
人が人として生まれた時から絶対に大事にしてるであろう正義と、
国や時代によって作られていく正義。
文化というのは複雑なものだと改めて感じた、
ちょっとした事実のお話。


 < 過去  INDEX  未来 >


快賊船 [HOMEPAGE]

My追加