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2025年09月24日(水)

変えられないことに悩んでも仕方がない。しかしまだ可愛げがあるうちにいきたかったな。
病気って本当に嫌だ。
母が姑に苦労したのは無理もないが、しかし私は祖母が嫌いではない。
母の生前に、祖母の涙についての私の愛を伝えたかった。勿論母だって、娘に苦労話を聞いて欲しかっただけで、姑を愛していたから介護できたんだ。母はたった一人でも自分の苦労をわかってくれたらそれで報われたんだ。ご近所でお姑さんの介護をしていた奥さんと話が弾んで、わかってくれたと喜んでいたことがあった。経験しなければなかなかわからないのだ。でも私は今の夫と息子にとって、厄介者の病人なので、祖母の涙に共感しているところがある。多分息子や息子の父親にはわかることはないように思う。かといって、共感できる人というのは、どこかにはあると思うが、なかなか見つかるものではない。父方の祖母だって、私とは全然違う人生だけれど、嫁に厄介に思われていたという部分については、とても共感してしまう。私にはまだめでたくお嫁さんには恵まれてないし、これからも会えないかもしれないが、夫や息子が、私を厄介に感じるお嫁さん化している気がする。

新潟市に転勤してもらって良かった。
東京で、イエロウキャブという本を読んだりして、ああ、現代のナイーブな日本女性はこんな風に生きざるを得ないんだなと思ったりしていたが、新潟市で会ったアラブの青年に、日本女性がイエローキャブだというのは本当か?と聞かれて、考えなければいけないなと思った。人の目を知るのは良いことだ。私がおかしな方向から戻ってこれたのは、あのアラブの青年やユーゴスラブの女性のお陰だと感謝している。
倫理社会の教科書を真面目に読んでみても、正しい生き方なんてわからないもの。でも何かに出会って選択してきたのは私の判断だ。それにしても私はこのままリウマチの頑固婆さんになっていくしかないのだろうか?

やっぱり祈っちゃうな。争いあるところに和解を。疑いあるところに信頼を。闇あるところに光を。間違いのあるところに真実を。悲しみあるところに喜びを。憎しみあるところに愛を。
私がもたらすものでありますように。愛されるよりも愛することを、理解されるよりも理解することを、慰められるよりも慰めることを、私が求めますように。そは、われらは、与えるが故に受け、赦すがゆえに赦され、
身を捨てて死するがゆえに永遠の命を与えられるものなればなり。


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