衛澤のどーでもよさげ。
2009年06月09日(火) 残念な。

今日も単車で走っている最中に無意識に歌っていたのですが、それが「チューペットのうた」だった残念な人の衛澤です。
ちゅーちゅちゅちゅーちゅーちゅーぺっとー。れーとーこでこーらせー(ここまで歌っていました)。

えーと。
またケータイ落としました。

出先のホームセンターで腰のポーチに入っていないことに気付いたのですが、気圧が低いせいかあまり奮わない体調のせいかもともと呆けているからか、持ち出した記憶に自信がなく、「もしかしたら最初っから携帯してなかったのかもしれん。家に帰ったらあるかも」と思ってそのまま帰宅しました。自宅の充電器に繋がってたりしたら先月同様「何もありませんでした」ってことになるよネ!と見えない誰かに念を押しながら。

ありませんでした。

取り敢えず、誰かが保護してくれているかもしれないと思い、自宅からケータイに電話をかけてみました。出る人がいました。ホームセンターのサービスカウンタの人でした。直ぐにホームセンターにとんぼ返りして引き取ってきました。
腰ポーチって、当てにならねえ?
今後再び繰り返さないように、持ち出すときにはベルトチェーンで繋いでから腰ポーチに入れておこうと思います。腰ポーチ自体はとても便利だと思うので。

ファイルの整理をしていたら、一〇年ほど前に書きためた詩が出てきました。それだけでも充分恥ずかしいのですが、一篇ずつ確認して更にこっ恥ずかしくなってしまい、そのまま頭痛に移行しました。ただいま現在、こめかみと後ろ頭の辺に鈍痛があります。
当時としては、三連ずつのまとまりを二ツつくって、すこし語の調子を変えた一連を入れて、更に先の三連のうちのお終いの連に当たる調子の一連を添えて、と歌詞のつくりを意識した造作にしたつもりだったようです。Aメロ→Bメロ→サビ→Aメロ→Bメロ→サビ→Cメロ→大サビ、という感じですね。
しかし、時間を経てみますと、私も判った訳ですよ。字数・音数を調整して仕立てたからと言って、それがそのまま歌詞として使えるかと言えば、決してそうではないということを。「詩人≠作詞家」の図式には理由があるのです。
「白の終焉」を発見したときの川原泉さんもこんな気持ちだったのかなあ、などと思いつつ「黄昏の6月王国」を暗唱してしまいました。水素イオンは風になる。(詳細は「小人たちが騒ぐので」にてどうぞ)

そんな赤毛の伊太利亜人……もとい若気の至りの発掘によるセルフ羞恥プレイのためか、小説のコンテは頓挫しております。御話のつくり方、特に「事件の起こし方」が下手なんですよ、わし。物語作家としては致命的な欠点な訳ですが、幾ら練習してもこれだけは上手になってきませんねえ。もう二〇年くらい練習しているんですが、一向に。

えー、今日も曲紹介。間もなく殿堂入りの名曲です。もう三回めくらいになるかもですが、貼っておきます。お聴きなさいな、渋く、熱く、しかしストイックでせつないこの歌を。



いい曲なのですが、だからと言って自分で歌おうとすると死ぬめに遭うかもしれませんので気を付けてください。ね。息してください息。


エンピツユニオン


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