衛澤のどーでもよさげ。
2008年12月29日(月) お別れ。

こんなに早く別れのときがやってくるとは思いもしなかった。

今朝のこと。携帯電話の目覚ましをセットしていたにも拘わらず、いつまでも起きられずに床の中でぐずぐずしていた私は、玄関の呼び鈴に起こされやっと床を出た。扉を開けるとそこにはうちの真上の階の部屋にお住まいのおばあさんがいて、仰ることに「向かいの空き地に倒れてるのは御宅の猫じゃないか」。
寝起きの恰好のまま、私は靴を履いて外に出た。
「向かいの空き地」というのは、私が住むアパートのベランダ側の窓から見える場所だ。うちの猫だけでなく、ほかの猫もちらほら通りかかるのを見る場所だ。

行ってみると、確かにそれはうちの猫で。

身体を長くして手脚を放り出す恰好で身体の左側を下にして倒れていて。目は開いていたけど瞬膜が半分出ていて眼球は白く濁っていて。口が半開きで舌が横っちょから出ていて。そんな状態だけど表情はあまり苦しくはなさそうだった。
抱き上げると身体は既に硬くなっていて、でも冬毛のせいかそんなに冷たくはなかった。

うちの猫―――名前をまめと言った―――は日中はずっと自宅で寝ていて、日暮れの頃から外出するのが日課だった。出て行っては帰り、出て行っては帰りを繰り返して、帰ってくる度に「ただいま」の挨拶に来てくれた。その外出が昨夜は随分長くて……でも、そんなことは以前にも何度もあり、そういうときも朝にはきちんと帰ってきていた。
だから、昨夜も、きっと帰ってくるものだと思って、私は床に就いた。

私が眠っている間にどんなことが起こったのかは判らないけれど、何があったにせよ、まめはもう帰らない。抱いて帰ってきた身体は抜け殻で、もう死んでいる。
まめを抱いて帰宅した私は、先ずまめの身体を何かでくるんでやらないといけないと思った。できるだけ新しくて暖かくて肌ざわりがいいものを、と思ったけれど、見当たらなくて、まめが生前おもちゃにして遊んでいたブランケットを出してきて、それでくるんだ。それから箱に入れてやらなければと考えたが年末でダンボールの類いは資源ごみの日に出してしまっていて選択肢がなく、掃除機が入っていたダンボール箱を棺代わりにした。



それから、まめのことを知らせてくれたおばあさんに御礼を言いに伺った。市役所に電話をかけて、まめの身体を引き取って処分して貰えるように手配した。

まめのカリカリ餌が、山のように残っている。貰い手を探してメールを出した。それから、まめのトイレを掃除した。まめが使うことはもうないから、中に入っている紙砂も底に敷いているシートもごみに出してしまおう。明日は今年最後のごみ収集日だ。
私が住んでいるアパートの間取りは3Kで、そのうち一室はまめのものだった。私はその部屋を先ず掃除した。掃除機をかけて、雑巾で拭き掃除した。ほかの部屋も同じようにした。大掃除なんて今年はもうしないつもりでいたのだけど、何かをしなければならないような気がして、とにかく掃除をした。

一ト通り掃除をして、多少はきれいになったまめの部屋で、ダンボールの棺の傍にすわり、私は少し喋った。
まめくんがいてくれておとうちゃん愉しかったよ。おとうちゃんもおとうちゃんの家族もおとうちゃんの友達も、みんなまめくんが好きだったよ。まめくんがいるだけでおとうちゃんは倖せだった。おとうちゃんはだめにんげんだけど、これからはちょっとがんばってみるよ。
喋り終える頃に、電話が鳴った。市役所の収集車からの連絡で、直ぐ近くまで来ていますとのことだった。

ダンボールの棺をまめの部屋から玄関に出して、市役所の車を待った。「お別れだね」と言ったときに呼び鈴が鳴った。
市役所の人にダンボールを引き渡して、手数料を支払った。まめは白いトラックに積み込まれて、部屋にはいなくなった。私が住んでいる部屋に、私は一人になった。
まめが私と一緒に住みはじめたのはついこの間、二年も経たない以前で、その更に前は私はやっぱり一人暮らしだった。だから何も変わらないはずだった。だけど。

まめの身体を送り出した後、部屋がひどく広いように感じられた。「一人ってこんなに寂しかったっけ」と思った。十数年振りに、大声を上げて泣いた。頭が痛くなって目眩がするほど泣いた。涙が一杯出た。

ここに書いたことが、たった三時間のできごと。
もう一度眠って起きたら、明日からはまた二年前の続きのような日が繰り返すのだろう。死は日常のことであって特別なことではない。何れ自分にも来る。
死後の世界があるかどうかは死んでみないと判らないが、もしもそうしたものがあるのならば、そこでまた会えたらいいね、といまは思っている。


エンピツユニオン


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