往年の名作「ドラゴンクエスト」
第四〜六作めがDSで登場……DS買うかも。
「買う」と断言できないのは、決め手に欠けるから。第四〜六作「天空三部作」も勿論好きなのだが、やはり「ドラゴンクエスト」と言えば第一〜三作めの「ロト三部作」ありきではないか、と思う。私の、一般に言う青春時代の三分の一は「ドラゴンクエスト」の第一〜三作をプレイすることに費やされたと言っても間違いはない。
「ドラゴンクエスト」があったから、私は「
ウィザードリィ」をプレイしようとパソコンに触れることになった。同世代の中では早いうちにパソコンが扱えるようになったのはこの御陰だ。
「ウィザードリィ」をプレイしたから「指輪物語」を読むことになった。「指輪物語」から「ゲド戦記」へ、「ゲド戦記」からR・A・ハインラインへ(SF繋がり。「ゲド戦記」作者ル・グウィンはSF作家でもある)、ハインラインからE・ヘミングウェイへ(髭のおっさん繋がり……というのはあながちうそではない)と、私の世界はどんどん広がっていった。遙か二〇年以上も前のことだ。
そう、私のファンタジイ―――創作の原点は「ドラゴンクエスト」だったのだ。それまでに創作の真似ごとは既にはじめていたが、基礎から学ぼうと本気で考えたのはこの作品がきっかけだった。
かの作品の御陰で「物語を辿る」愉しさを知った人はどれだけ増えただろうか。「思わぬ展開」に人間の身体が影響を受けることを体感した人がどれだけ多かったことか。文字だけが表示されている画面を見て涙してしまったことに何百万人もが驚いた。物語を構築する素養を持った「子供」に物語の辿り方、愉しみ方を教えたのは、一九八〇年代においては「ドラゴンクエスト」であったと言っても過言ではあるまい。
「ドラゴンクエスト」を改めてプレイすることによって、私は物語作家としての勉強をやり直すべきなのかもしれない。物語の神が私のためにこの機会を与えたのかもしれない。意識過剰に思われるかもしれないが、それほどの強い畏敬と憧憬を、私は「ドラゴンクエスト」に抱いている。
また、失くした時間を取り戻す機会だとも思っている。
私は過去に一度没した。それは、天空三部作の最終作「幻の大地」をプレイしている途中のことであり、だから私はこの作品を最後までプレイしておらず、また「幻の大地」は私がプレイした最後のロールプレイングゲームでもある。
私は「幻の大地」の結末を、まだ知らない。一度没したがために私の人生はリセットされて、私の「幻の大地」は未完のままなのだ。
新たに天と地に分かたれた世界を旅して、空白の時間を、失くした時間を取り戻す好機が巡ってきたのかもしれない。
【今日のぱちもん】
コップにバニラアイスクリームとビスケットと牛乳を入れて攪拌攪拌。ほーうらフルーリーだよーん。