衛澤のどーでもよさげ。
2005年07月22日(金) きみは光ぼくは影。

昨年末に或る出版社と別名義で契約するとき、「年単位で契約してくれ」と申し出たけれど断られた。仕方がなく契約は毎月更新で、翌月の原稿料が得られるか否かが判る(翌月分の原稿依頼が入る)のが月末という状態が半年続いたのだが、先日ついにその出版社から「連載を御願いします」という依頼がきた。
ほら見ろ、おれが書くものにはそれだけの価値があるんだよ。
と、傲慢不遜にもそのときは思ったのだが、自分が書くものに自分でない者が価値を見出してくれたことによろこんでみたりもしたのだが、よくよく考えてみると「違う」よな、と思う。

この出版社は別名義の作品を望んでいるのであって、「衛澤」の作品を望んでいる訳ではない、ということ。別名義宛てに読者からの感想や要望が届いたりもしてそれはそれでうれしいのだけど、それ等もぼく宛てはぼく宛てだけど「衛澤」という人格に対して宛てられたものではない。しかも、「衛澤」の仕事が「衛澤」に対してフィードバックされるということがほとんどなく、それなのに別名義へは短期間に割りと沢山の反響が返ってきている。実際によく動くことができているのは別名義の方だ。

ぼく自身ではなくぼくの足許に伸びる影の方が活発に活動していて、ぼく自身は碌に動いていない。そんな感じがする。

このままだと地面に貼り付いているだけのはずの影に実体であるぼく自身が喰われてしまう。そんな不安を覚える。二〇年ばかり書き続けていながらたいした反応を貰えない「衛澤」と、細かなことの辻褄合わせのための「便宜上」の存在でしかないはずなのに作品を望まれたり生半な作品でも金銭を得たりしている別名義。そのうち「影」と「実体」との立場が逆転してしまいそうだ。
「衛澤」はほんとうは何処にも誰にも必要とされてはいないのかもしれない。

そんなことを考えて、何となく「ゲド戦記」を思い出した。


【今日のこそっと】
好きな作品の作者氏が実は好きなコンピュータゲームのプログラマもやっていたりして吃驚。


エンピツユニオン


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