2005年05月15日(日) まだ口は塞がるしものも言えますが。
今日は一日中詰めて仕事をしていてそろそろ短編が一本上がりそうなのにあんまり仕事をした気になれないでいる衛澤です。ジムに行く時間をケチって仕事にまわしたのですが、ほんとうのところはジムで身体を動かした日の方がいろいろと気力も湧くし何かをした実感も湧くのだと気付きました。
実は呆れたことがあったのですよ。前の段落と繋がらない書き出しをしてみました。
現在、或る雑誌と執筆契約の交渉をしているところなのです。以前に御世話になったことのある別の編集者氏にしても、今回直接交渉に当たっている担当者氏にしてもぼくよりも年少で、だから仕方がないという部分もあるのかもしれませんが、それにしても心配なことがあるのです。
近頃の二十歳代は、日本語が変だぞ。
文章の上手下手というのは、ひとりひとり違うものです。また、「うつくしい」文章が即ち「上手な」文章、という訳でもありません。だから上手下手を云々する気は毛頭ないのですが、これは上手下手以前の問題ですよ。
社内の者つまり身内の行動を尊敬語で表す。自分の行動を尊敬語で表す。なのに相手への謝罪や御願いは丁寧語でとどまっている。格助詞の使い方が明らかに間違っていて主語なんだか目的語なんだか判別しづらい。この人の話し言葉は大丈夫だろうかと心配。
これだったら、日本語学校で勉強している外国の方の方が余程上手に日本語を操っているぞ、と思わせる、とても「文章」と言えない文。これでよくも雑誌をつくっているなと心細くなりました。
今回、担当してくれている人だけがひどいのなら、「この人は勉強の仕方を間違ったか勉強する気がなかったかのどちらかだろうな」と思うだけで済むのですが、そうではなく以前にも似たような、奇天烈な日本語を操る人に接したことがあるので、若年層の母国語離れに些かならぬ不安を感じています。
二十歳代でも上手な人は上手な文章を書くのですけどね、苦手な人もいて当然だろうとは思うのですけどね、「編集」という仕事に関わっていて弖爾乎波を間違えているようでは不味いだろうと思う訳です。
……大丈夫か、我等が母国の出版界。
【今日のちなみに】
「弖爾乎波」は「てにをは」と読みます。普段は平仮名で書くようにしているのですが、文の前後を比べてみると漢字にした方が見やすいと思ったので今回はこうしてみました。