2005年05月01日(日) 温泉宿にて。
今日は帰宅していますが休養日に充てていまして取り立てて書くこともありませんし、愛知県でのことをもう少し。
「愛・地球博」に出掛けたその日は、名古屋市近郊の福祉施設に宿泊しました。県の施設なので料金が安く、しかも温泉にも入れます。
しかし、温泉といえば大抵が共同浴場である訳で。
ぼくは温泉が好きなのですけどね、好きであることと入れるということとは違うのですよ。
浴場や水泳場では男性はそれほど同性の身体を見てはいないということは経験上知ってはいるのですが、それでも気後れしますね。結局、温泉には入ったのですけどね。二度も。
ぼくは上半身は手術済みですが大きな術創がはっきりと残っていまして、それも不審といえば不審だし、下半身はまったく未手術なので背後からの視線も姿勢によっては気を付けなければなりません。
一度めの入浴は空いた時間帯を狙ったのでさして気にしなくてもよかったのですが、やっぱり負い目のようなものを感じます。あるべきものを持たない、欠けたる者としての負い目を。これはすべての手術を済ませてしまった後も、一生感じ続けることなのだろうなと改めて思いました。
二度めの入浴はいわゆる朝風呂で、宿泊客は大抵、温泉を目当てに来ているので言うまでもなく混んでいました。湯船に入っている間はそれほど気にする必要もないのですが、一番気を使うのは脱衣所で脱いだり着たりするときです。特に、おパンツを脱いだりはいたりするときは大きく片脚を上げるので見られては困るところが見えやすくなります。
だから素早く済ませようとするのですがそのさまが挙動不審だったり、相手に見ようという意識がなくても見られては困る部分が見えてしまったりということもなきにしもあらずで。
見えたからと言って明らさまに抗議したり通報したりという人はまずいないのだけれど(オトナならしないものです)、二度めの湯上がりに脱衣所で一緒になった爺さんの視線はとっても痛かったなあ。そんなにじろじろ見なくてもいいじゃないか。
「視線が突き刺さる」とはああいうことを言うのだと思ったのでした。
【今日の失望】
自分の体力のなさに。明日からまた鍛えます……。