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なんのことやら(くすくす)
雪
MAIL

2010年02月16日(火) ■
訃報。

今朝、館林のオバ、とうとう亡くなったそうです。
午前中にハハから電話がありました。
ハハは即行で館林へ。
あしたお通夜、あさって告別式、とのこと。
ハハによると、わたしは遠方(?)ですし、親族でも下っ端なので、
お通夜か告別式、どちらかでよい、と。
いもーととも相談した結果、時間的なものもあって、あさっての告別式のみ行くことになりました。
ちなみに例のヒトはシゴトを休めません。(社内規定的に、ヨメのオバの不幸では休みがとれない)
場所は佐野。クルマでしか行ったことないー。
でも、おこちゃま連れのいもーとのエスコートもしないと、なので、
方向オンチだとか電車の乗り換えわかんなーい、ゆきみっちゅなのー、とか
言っている場合ではありませんね。
なんとかたどりつこうと思います。って「思います」ではダメですね。
たどりつきますとも。ええ。

キョリがキョリなので、あしたのうちに、実家に行って、一泊しますわ。
そしてあさって、いもーとたちと合流して、佐野へ、という計画になりました。




以下、自分のココロを整理するために、長々とオバ話。ご容赦を。




オバは、ハハより7歳年上なのですが、むかしから、バケモノと言われるくらい、若く見えるヒトで。
ハハが50代のとき、よゆうで40代に見えておりました。
つい最近、ゲンキな状態で会ったときでさえ、70代なのに60代にしか見えませんでした。
しかも、美人。
ハハにはたいへん申し訳ないのですが、どうしてこのヒトがわたしのおかあさんではないんだろう、と
思ったことが何回も。

ハハとしては、仲のよい姉…でありつつ、つねに女性としては嫉妬の対象だったもようです。

キレイで、かわいらしくて、誰にでも好かれて、アタマもよくて、…と。

ふたりで歩いていると、7歳も歳上なのに、かならずオバのほうがいもーとに見られていたんですもん。
それはちょっとツライですよね。

オバはそれこそむかしから、ものすごーくモテたそう。
高校のとき、テニス部だったそうですが、ファンクラブがあったそうですよ。
…オバの高校時代って昭和何年ごろ?その当時、ファンクラブ結成というコトバがあったわけ?と
わたしとしてはキョトーンとするしかありません。

オバの夫、わたしから見たらオジ、は、戦後のゴタゴタでのしあがった実業家で。
じつは妻子のある身でありながら、その高校時代のオバに目をつけ(!)、悪いムシがついたら困る、と
(自分こそが悪いムシでは?と当時から笑われていたそう)、クルマ(しかも高級な外車)で
家から学校まで、オバのことを送り迎えしていたそう。

けっきょくは、妻子を捨て、オバと結婚、という流れだったそうです。

このあたり、けっしてほめられることではないでしょうけど、わたしはこのオジ、オバに限っては、
そのエピソードがとても好きで、あこがれさえ抱いておりました。

オジは、もう15年ほど前に亡くなっているのですが、これまた、とてもかっこよいヒトでした。

オバはもともと自慢はしないヒトなのですが、数少ないオバの自慢では、
フウフふたりでデパートなどに入ると、プロ野球選手とモデルに間違われたそう。

さもありなん、としか。

そのくらい、絵になる二人でありました。ええ。

…とはいえ、そんなオジを周囲の女性がほうっておくわけはなく。

そのあたりの話は、直接わたしに伝わっているわけではありませんが、親族間では、
オカネにこそ困らなかったけれど、そのオバが一番苦労人、という認識でしたわ。
いまだから言えるのですが、オジ、「のしあがった」もので、黒いつながりも多少あったそうですし。

もちろんオバは、まさか姪のわたしにそんな苦労話をするわけもなく。
オバには息子二人で、娘はいなかったので、わたしやわたしのいもーとを、
とても可愛がってくれました。

いつでも若くてキレイで優しいオバ、というのが、とても自慢だったわけですが、
決定的にオバサンありがとう!とココロの底から思ったのが、以前何回でもここに書いておりますが、
ウマに誘ってくれたこと。

オバはもともと、オトモダチと、乗馬クラブにちょっとだけ在籍したことがありまして。
十数年前、わたしが、心身ともに、もうダメじゃないの?おしまい?な、どうしようもなくなった
状態のとき、
「ウマに乗ってみる?」
と誘ってくれたのでした。
わたしはもう、小さいころからウマに乗ることが夢だったので、願ったりかなったり。
うちから電車(りょうもう)で館林の駅へ。オバがクルマで駅まで迎えにきてくれていて、
まずはオバの家へ。
お茶して準備して、乗馬クラブへGO。
レッスン受けて(って、じつはオバは歳で体力が…とか理由をつけて、ほとんど乗りませんでした。
あくまでわたしのための入会…)、クラブでお茶をいただいて、またオバの家へ。
イッショに食事して、いい時間になったら、また館林の駅まで送っていただいて、電車で帰宅、と。

月に2〜3回、そういうことをしておりました。
世間知らずのわたしはな〜んにもわかっていなかったのですが、そのかっこいいオジ、
投資に失敗して、ものすごい額の借金を残した状態で亡くなっておりまして。

オバ、すくなくとも、ニートでひきこもりなオンナを乗馬に誘えるような状況ではなかったのですよね。
ここ重要。

あとで真相を知って、もう。血の気が引きました。
どう恩返しをしたらよいのかわからないまま、今に至る、と。

わたしたちのケッコンシキのプランを組んでいるとき、担当の方から、
「お色直しのときに、サプライズでどなたかにエスコートしていただいて退場というのはどうですか?」
とご提案いただき。
真っ先に、オバにお願いしよう、と思いました。

ケッコンシキ、わたしたちは乗馬が縁で…というのをアピール(?)していたので、
お色直し退場のときも、「乗馬に誘ってくださった伯母様、○○様、新婦のもとへいらしてください」な
アナウンスが流れ。
オバと手を取り合って退場したのが、…今となってはいい思い出になったかも。
そのときのオバの手、とても温かかったです。…酔っていたせいもあって(くすくす)
「こんなことあるの知らなかったから、飲みすぎちゃった。ちゃんと歩けるかしら」
とか言われたの、しっかりおぼえております。
披露宴会場を出て、あらためておめでとうー!とハグしていただいたのも、しっかりと。

オバにウマに誘ってもらわなかったら、ウマつながりの例のヒトとは決して出会えなかったというのが、
もう、ね…。

そういえば、そのケッコンシキ当日、オバとイッショに準備のためにホテル内の美容室に行ったら、
戦場のような混みっぷりで。
うわーいわたし、まさかの後回しー?間に合うー?な状況だったのですが、オバ、
かわいらしい感じながらしっかりと、
「この子(わたしのこと)、きょうの主役の花嫁さんなのですけど、ちゃんとお願いできますよね?」
と受付の方に言ってくれたのも、思い出しました。

ほんと、お世話になってばかりでしたね…。

けっきょく、な〜んにもご恩返しはできないまま、きょうのこの状態でございます。

うーん…。

わたしにできることは…姪たちを、オバがしてくれたように、かわいがることくらいでしょうかね。
それこそ姪たちに、万が一心身ともにピンチなときがあったりしたら、すこしでもチカラになれるとよいな、と。


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…そんな感じでございます。
ここまでおつきあいくださった方、ありがとうございます。ぺこぺこ。

しかし、おとといの日曜日、ハハ、オバのお見舞いに行って、そのときは
「こちらの言うことわかっているのよー。ちゃんと反応したもの」
とか言っていたのですが。
急変したのでしょうかね。
まあ、詳細はそのうちわかることでしょうー。

ダメかも、ダメかも、とずっと言われていて、覚悟もできていたので、わたしったら意外に冷静です。
きょうも例のヒトにご報告メールをしたら、例のヒト、シンパイしてメールではなく
電話をくださったのですが、わたし、ふつうに応対できましたし。
ちょっと、自分自身に安心。

ウツっぽくなったらどうしよう、と思っていたのですけどね。
だいじょうぶそうです。

…例のヒトがいてくれますしね。えへへへへ。

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そうそう。
おなかのテープ、とうとうサイゴのも取れてしまいました。
これはキズアトがちょっと…。
3cm弱くらいで、まだミミズバレっぽく。美しくないです。
いやーん、しっかりキズモノー。オヨメに行けないー(はいはいはい)

あ、それこそおとといの日曜日、例のヒトにおつきあいいただき、近くのデパートで、
快気祝いをようやく手配いたしました。
遅くてお恥ずかしい…。

で、きょう、義母から、届いたとの報告をいただきました。
よかったー。一安心です。

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そんなこんなで。

あしたは、お泊りグッズにプラスして、喪服一式も持たないとなのですね。
荷物がタイヘンそう。

でもなんとかがんばります。

ではきょうはこのへんで。
おやすみなさいませ。