浅間日記

2005年03月09日(水) 60年前の子どもは

夜半に目が冴えて眠れず、枕元にラジオを引き寄せ、聴く。
先週のことである。

東京大空襲から60年です、という話が、深夜にひっそり流れていた。
学童疎開にまつわる投書を読み上げている。

集団学童疎開というのは、かいつまんでいうと、
第二次世界大戦中に防空の足手まといをなくすこと、
若い生命を次の戦力として培養することを主な目的として行われた政策である。
全国の17の都市に住む小学1年生から6年生の子ども達は、
「強力な推奨の元慌ただしく」親元から離され、地方の寺や旅館で暮らした。
疎開先が三度も四度も変わり、日本の北から南まで移動することもあった。
慣れない土地での寂しい子ども集団の生活は、陰湿ないじめなどもうまれ、
疎開先で命を落とす子どもも多くあった。

*

「一人っ子で甘えん坊のS子ちゃんが、どうしてもお母さんに会いたいといって、
疎開先から一日だけ家に帰ったその日に空襲がありました。
S子ちゃんはついに帰ってきませんでした」

「他の子の親が迎えに来ても、私のところにはいつまでたっても
お父さんもお母さんも来ませんでした。
先生がある日、四葉のクローバーを探しに行こうといって山へでかけ、
一つだけ見つけました。先生は「あなたはこれで絶対に幸せになれるわ」と
いって泣きながら私を抱きしめてくれました。両親や兄弟すべて死んだ、と
いうことはその後で聞きました」

ラジオのむこう側から、超ヘビーな話が流れてくる。まったく超ヘビーだ。
番組リスナーである市井の人が、「そうそう私も」という感じで
こんな物語を送ってよこす。そのことが何よりヘビーだ。
夜更けの静けさの中で、何かを越えて、私の中にも悲しみが押し寄せる。

*

この「学童疎開」世代は、戦争の実体験を語ることが出来る最後の人たちだ。
この人たちが「当時子どもであった」ということは、他の戦争体験世代とは
圧倒的に違う、重要な意味をもっていると私は思う。

大人というのは社会や自分史を取り繕う。戦争の大義や英霊などと言ってしまう。
子どもの心に残るのは、怖かった、寂しかった、悲しかった、
それだけだから余計な嘘がない。

大人になり、社会的な背景を知り、言葉をもっても、その時の思いは
変わらずもち続けることができる。幼少時の体験というのはそういうものだ。

見た目はおじいさんおばあさんかもしれないけれど、
実態は坊主頭とおかっぱ髪の子どもによる証言なのである。
戦争を生き延び、その後の時間で築き上げた社会経験や学歴職歴やなんかを
すっぱり飛び越え、一人の子どもとして語っている。

だから年配の人の話を後輩として聴く、というよりは、
虐待された子どもや登校拒否の子どもの叫びを聴くような気持ちで
耳を傾けることが適切なように思う。

そしてこの人たちは、特に今子どもでいる人たちに向って伝えたいという。
子どもの心のまま、本当にあれは怖くて寂しくて嫌だよ、と。
教育とか指導という高邁なものじゃなく、
子どもから子どもだけに伝わる特殊信号で、
秘密裏に「あのこと」を話しておきたい、という感じだろうか。

*
江戸東京博物館に行くと、13日まで学童疎開展をやっているらしい。


2004年03月09日(火) テハヌー


 < 過去   INDEX  未来 >


ipa [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加