Dynamite徒然草
Dynamite徒然草

2019年03月30日(土) 昭和最後の思い出。

昭和は64年1月7日で幕を閉じました。

その前年である昭和63年を思い起こしてみましょう。暇なんで。

秋には鳩の公開処刑で幕を開けたソウルオリンピック(通称:焼鳩五輪)がありました。病的なまでの肉体美とメイクと脚力で人生までも駆け抜けていったフローレンス・ジョイナーや、この3年後に長嶋茂雄から「ヘイ、カール!」と呼び止められる羽目になった疾風の男カール・ルイス。そして鳥人ブブカが唯一金メダルを得たのもまたこの焼鳩五輪でした。歴史に残る人々大集合ってなくらいにスターが勢揃いの大会でしたね。

歴史に残るといえば、せっかくもらった金メダルを公衆電話に置き忘れたうっかりエンジェル、レスリングの小林孝至さんも忘れられません。
またスタートと同時に三分の一近くを忍者の如く水面下に潜み続け、浮上すること潜水艦の如くダバァッと現れたかと思うと瞬く間にゴール。高々と左腕を掲げたバサロ鈴木氏の名言が「ちょー気持ちいい!」だったらきっと初代スポーツ庁長官にはなれなかっただろうなと思う今日この頃。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

そしてソウル五輪といえば小谷実可子、いや、日本シンクロの母・井村雅代を忘れることなど私にはとうていできません。冬の満知子に夏の雅代。井村雅代と山田満知子のお二人は日本五輪の母といっても過言ではありません。宇津木妙子も入れて五輪三母とも言えましょう。まさに聖母。あ、橋本聖子は入れませんよ、ダメ、絶対。


さて、このように思い出深すぎる昭和63年は、後半に向かって次第に自粛ムードへと向かっていくのであります。

そんな自粛ムードのさなか、この年の3月に発売された少年隊最初で最後となったベストアルバム「BEST OF 少年隊」に興奮するジャニオタな同僚らから、病的なまでにこれを聞くようすすめられ、毎日のように「一度聞いてみなよ、ニッキかっこいいよ」だの「ヒガシの声にうっとりするんだよね」だの、あと一人のことは誰も言わないことなどは置いといて、当時の職場でこれをガン無視することはなかなか難しく、無理やり渡されたカセットテープを「ねえ聞いた?聞いた?」と毎日問われるのも苦痛になりかけたため、いいかげん降参するかと買ったばかりのウォークマンで仕方なく聞いてみたところ、ラストに入っていた「少年隊とおしゃべりデート」にツボってツボッて呼吸困難に陥るほど大爆笑。当時の世間は自粛ムードいっぱいだというのに不謹慎極まりない状況に私を陥れた少年隊、いえ、影の人ジャニー喜多川に恐怖すら覚えたことは特筆すべきことでしょう。おすすめしてくれた当時の同僚さんありがとう。おかげで翌年転職した先の会社でこの話題がテッパンネタとなり、ずいぶん長い間笑わせていただきました。「だってオレは...明日がどうなるか分からない仕事してる男なんだぜ」錦織一清はジャニ神。異論は許さん。


そうです。
昭和63年とはこういう年だったのです。


年末年始に向けて世の中の自粛ムードはもうマックスになり、明けて7日早朝、昭和は静かに終わりを迎え、この日の午後には明日からの新たな元号「平成」が発表されました。

そしてその瞬間からゴム印屋と印刷屋はてんてこ舞い。
どこもかしこもなにもかもが、この日を境にしばし慌ただしくなりました。
悼みと時代の転換期のドキドキを同時に迎えるような、複雑な心境だったのを覚えています。





今度は違うのです。
不安の中にもなく、自粛ムードもなく、誰もがこのときをわくわくして待っている改元。

天変地異があったので改元するわけでも、崩御されてからの改元でもない、おめでたい改元。


昭和の終わりを忘れられないように私はきっと
平成の終わりもまた、忘れないでいることでしょう。


そして少年隊よ永遠なれ。


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書いてる人 : Dynamiteおかん