Dynamite徒然草
Dynamite徒然草

2009年07月09日(木) 2009年島原の旅。

昨年夏に引き続き
今年も島原に行ってきました(先週末のこと)

昨年は天草からフェリーに乗って渡ってきて
そのまますぐにホテル入りし
翌朝にはホテルから長崎市内へまっすぐ向かったので
島原観光は何もしていませんでした

多少心残りだったので今年は
名物の具雑煮喰ったり寒ざらし喰ったり
普賢岳見たり、被災した小学校跡地とか見たりしようと思ったのであります

しかーし
私は雨婦人
雲仙に向かって車を走らせれば土砂降り
あきらめて山を下りたら小雨

おお
普賢岳は私を拒絶するのか

雲仙地獄見物を諦めて
「島原まゆやまロード」を通る
大火砕流後の場所を間近に見ることができる道

お目当ての具雑煮屋の目の前が島原城なので
腹が減るまで城観光でもと思いましたが
ここで一番衝撃的だったのは天守閣の資料館よりも城内にあった観光復興記念館


島原大変肥後迷惑の関連資料や
1991年の大火砕流関連資料と映像
いちばん辛いなあと思ったのは
大火砕流で父親を亡くした子供の作文の展示
「あの日帰らぬ父に 普賢岳のもとで」※児童生徒体験作文集「災害を超えて」より

マスコミが危険区域でいつまでも取材していたのはよく覚えてる
私は1990年の夏から秋にかけてツアーコンダクターのバイトをしていて
10月には山口県の中学校の修学旅行に同行して雲仙を訪れ
その翌月の11月から普賢岳の火山活動が始まったので
ギリギリでヤバかったなー

多少なりとも注目していたニュースだったから

火山学者が近くに行ってるらしいとか
テレビカメラが結構近くでいつまでも取材しているのを
ニュースで見聞きするたび

なんていうんだろう
ドロドロの真っ赤な溶岩が流れまくったり
ドカンドカンと大爆発を繰り替えすようなこれまでの「噴火」のイメージと違って
グレーの溶岩ドームが
少しずつ大きくなっているだのいないだの
それが崩落しただのしないだの
火砕流が発生しただのしないだの

だいたいこの
「火砕流」というのが耳慣れない危機感をイメージできない言葉だったので
土石流みたいなものだろうか
などと
いつまでもそんな感じでしか捉えられず

それが一変する1991年6月3日夕刻

大火砕流の映像や住民が避難する様子
避難所で過ごす人たちや灰まみれの町
当時の島原市長の活動の様子を報道するニュース映像は
私の脳内にも比較的鮮明に残っています

だから
ニュース映像の素晴らしさや価値はよくわかる
よくわかるんだけれどもやはり
住民の安全を守るため必死で警戒にあたっている地元警察や消防の邪魔になるようなことをさせてまで
最前線に取材クルーを出すものじゃない

自然災害は怖いと思うけれども
自然の上に住むのならばこれに立ち向かい共存するのが生き物の宿命
ならばせめて
人の心が引き起こす二次被害はなくならないものかと
ふと思う

阪神淡路大震災のときも
やたらにヘリを飛ばしたりむやみに現地入りして
生き埋めになっている人たちの救助活動の妨げになっていたとか

想像力の欠如というよりも大企業に、業界全体に根付く傲慢なんだろうか


・・・・・・・・・

島原城を後にして
目の前にある姫松屋で名物の具雑煮を食べる

...その素朴な美味しさに癒された

そして
また
この町に来たいなと思った


次に来るときは慰霊碑に行きたいな


・・・どこにあるんだ?慰霊碑。

「道の駅みずなし本陣」にも行きたいです


まだまだがんばれ島原。


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