| 2002年11月09日(土) |
マヒナ爺、プールへ行く。 |
このクソ寒いのにプールね? なーんて健常者は考えてしまいましたが、 左半身マヒな父は、この冬「プール」での歩行訓練を決意した模様。
「これでも若い頃はがんがん泳いだもんだ」 なーどと気合い十分で出発、 南区にある福岡市立障害者スポーツセンターに向かいました。
ウチのマヒ父は二年前までは自営業でバリバリ働いてたもんですが、 64歳の2月早朝、職場に向かう途中の車内で脳血管がブッちぎれ、 左半身がマヒした状態のまま気力で運転を続けて会社に到着し、 事務所から自宅の母にろれつの回らない口調で電話をした後、意識不明になりました。
三日間意識不明のままで、すっかり絶望状態でしたが、 担当医の決断は手術。一か八かってな勝負です。 手術は無事成功し、意識もすっかり回復。 しかし、とんでもない血のかたまりを取り出した後の右脳はダメージを受けまくり、 左半身麻痺の残った状態で命拾いしたってーわけです。
術後からリハビリが開始され、 手術の傷が癒えてからは、リハビリ専門病院で半年かけて杖歩行が可能になり、 退院後は通院でのリハビリにがんばってるってー日々。
それがいきなり「プールにいく」と言いだし、 一体どーしたことかいなと思いましたが、 冬は外での歩行訓練に長く時間をとれないので、 プールで効率よく運動をしたいとのことでした。 そっか、なるほどねー。
こーいうところからして健常者の娘は理解がたりんですな(笑)
マヒナ爺、さっそくプールへ向かい、 息子はセンター内で催されていたおもちゃの貸し出し会に参加させていただき、 楽しそうにおもちゃで遊びまくっておりました。
母が「上から歩いてるの見られるよ」と言うのでプールを見学すると、 緊張した面もちでプール歩行している父が。
二年前までは仕事一筋で、 趣味もへったくれも何一つなく、 唯一の楽しみは晩酌ってーいう典型的な親父。
それが今では「俺の今の仕事はリハビリ」といって笑う。 夢は孫と並んで走ること。
この状態に慣れるまで本人が乗り越えたものは大きかっただろうけど、 パパがあんまり仕事づくめの人生やけん、 神様が強引に定年退職させんしゃったったいと、 兄貴と私に言われて笑って頷いた。
そう。 ここは障害者スポーツセンター。 入ってくる人はみんな何かを乗り越えてやってくる。
父もまた、 二年かかってこのドアにようやく、たどり着いた。 新しい夢に向かうために。
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