| 2002年04月09日(火) |
私信。(ある友人へ。) |
「『死にたい』は『生きたい』」
この言葉を何処かで聞いた時、
「ああ、なるほどな」と思った。
おそらく死にたいような気持ちを抱く人は、
人一倍、自分の心を生かしたい人なんじゃないかと思う。
精神の生を求め、追求するあまり理想は高くなり、
現実と理想の差を測ってあまりの道程の長さに目が眩み、
その度に自分自身の絶望によって地に叩き付けられ、
自分の価値を疑うコトで自分の精神を死に追いやり、
肉体をも殺そうかと葛藤し、
それでも「生きたい」という欲望が自分の中にあるのを知っているから、
また息を吹き返し、
そこから這い上がってなお生きる。
精神の生を切望するあまり、
自分の心を生かしておけないと思う時に肉体の死を切望する。
そういう人なんじゃないかと思う。
そして、キミも私もそういう人。
私は肉体が生きている限り、
精神の生を追い求めて生きて行くんだと思う。
私にとって一番怖いのは精神の死。
肉体が生きていたって、精神が死んでいては意味が無いし、
精神の生を守る為に肉体の死を選ぶ事だってあるのだろう。
むしろ、そういう気持ちでいつも居たい。
実際にそういう終わり方をしても構わない。
そうすれば、きっと自分を人間にしたまま、
生きて、死んでいける。
時に人間でいるのが辛くなるけれど、
それでも自分が「人間の自分」を生かしたいと思っているのは、
本当は自分が一番よく知っているから、
いつか自分の心臓が動くのを止めるまで、そうやって生きていくんだと思う。
それでいい。
辛くても、自分の人生生きたって思いながら死にたいから。
本当にキミが辛くなって生を投げ出したとしても、
私はキミを責めやしない。
キミが自分の精神を生かそうとした結果なら。
それでも今は、キミが「生きたい」のが分かるから、
時に弱く、
時に強く、
時に自分に望み、
時に自分に失望し、
時に歩き、
時に休み、
時に自暴自棄になり、
足元をみつめ、
前を向いたり振り返ったりしながら、
生きていこう。
自分の生きていけるところまで。
今のキミは腐敗してなんかいないよ。
「生きよう」としてるから。
精神の生を切望し、
肉体の死を切望する。
キミがそうしている限り、キミは腐敗なんかしていないよ。
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