人の品性が何処で決まるかご存知ですか? (まったくの私論ですので、分からなくて当たり前なのですが。)
「魔が差す」という言葉がありますよね?
この「魔」の元になるのは人間の持つマイナス感情だと私は考えます。
人は傷ついた時、窮地に立たされた時、疲れた時などに、マイナス感情に支配され、 何が最良か、何が最善かの判断を忘れて、 心にも無い事を(あるいは普段から思ってもできない事を)うっかり口に出したり、 人道から外れた行動をとります。
これが「魔が差す」の状態です。
そして、魔が差そうとするのを抑制して思い留まる為に必要なのが、
「理性」です。 「良心」と言った方が良いかも知れません。 (ココで言う「良心」とはただ単に情を持つという事ではありません。)
「魔が差している」状態を如何にコントロール、抑制出来るかは、 ひとえにその人の良心の強さにかかってきます。
その人の良心が脆弱なものであればあるほど、周囲の人を犠牲にし、 傷つけ、周囲との和を保つ事すら困難になっていきます。
「品性」と言うのは、その人の職業や価値観で決まるものではありません。
如何に「魔が差して」いる状態に引きずり込もうとするマイナス感情を 「良心」を使って抑える事が出来、周囲との(本当の意味での)調和が取れるかです。 そして、万一過ちを犯した時に、如何に良心を持って自分の行動を見つめなおして、 方向修正に至るかです。
少なくとも、私はその人の品性をそれのみによって決めています。 私もまだ人間として未熟ですので、完全に出来ているとは言い難いですが。
「品性」を失った人間は獣同然・・・いいえ、獣以下です。
そして、この考えを失わない事が私にとっての「品性」と言えるかも知れません。
人は弱いモノです。
感情が与える痛みによって、一時的にでも「品性」を失ってしまう事もあるでしょう。
しかし、私は自分自身がそういう状態に陥るのを良しとしません。
私にはそんな弱さは必要無いのです。
いつかこの日記を読み返すであろう私へ。
どうか「品性」を失わないでください。
弱くても、傷つく事を恐れない、
傷つく事があっても、良心を失わない、
そんな勇気が私にありますように。
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