ほっこり日記
ふー



 似ている?

 この間、子供と一緒に映画『ハリーポッター』を見に行った。映画としてはなんだかな〜という出来だったけど、主演のダニエル・ラドクリフの青年ぶりがたいそうかわいく見えて、むしろそちらにはまってしまった。というわけで、家族共用のアカウントでは、デスクトップの背景がダニエルになっている。

 ハリーポッターの背景なんであるが、これまた久しぶりに最近どっぷりとはまっているマインスイーパ(ちなみに上級のハイスコアが175秒)をしていると、こちらをじっと見られている気がする。目が合うと笑っている。(←ばか)そこで、ふと、思い出した。この感じは、あの、ヨン様に似ている。

 ヨン様にはあまり興味はないのだけれど、どうしてあのおよそ男性ぽくないヨン様が韓日でうけるのかというと、あの、女性性の強い微笑なんだと思う。「かわいい」のだ。そういえば、ジャニーズ系のタレントがなんだかんだといわれながら、日本の芸能界に君臨していられるのも、およそあの男性らしくない柔らかい感じつまり、かわいらしさ、なのだ。

 ハリー役のダニエルについては、幼年・少年時代にファンだった人は青年期を迎えた今の彼に興味を失いつつあるようだが、私は、やっとその魅力に気がついたところだ。これを「萌え」というのかな。だとすると、下手に出る・自分より力の弱いもの・自分に媚びるもの・自分を必要とする弱きもの、子猫・子犬・赤ちゃん・・・・そういった存在に対する優位。これが、今の、多くの人の心を動かす衝動なのか。だとすると、本当はただ、ずっと弱いだけの存在でなんていられない弱き者が思い通りにならなかったとき、その衝動が暴力として噴出する・・・それが、小さな子供の命を奪う事件につながった?

 かつて、SMAPの木村拓也氏が結婚したときに、彼のファンが見せた、パートナーに対するすさまじいまでのバッシング。あれは、自分のかわいいおもちゃだった木村氏がただの男でもあるということを認めたくなかったからなのだろう。木村氏の例に漏れず、幻想にファンは生きているのだ。

 幻想に生きるという点では、私も長く、結婚相手に対する幻想を捨て切れなかった。今も完全に捨て去ったわけではない。捨て去ることができないともいえるが、それにすがり付いて離れないのはやはり私の意志なのだ。捨て去った、と簡単に言い切らないほうが、まだ賢明だと思っている。今は、幻想の呪縛は、私たちを幸せにしないのだと言い聞かせ、言い聞かせ、そこから自分を引っぺがそうとして躍起になっている。

 ダニエルが遠い国の人でよかった。子供だから、成長とともにいい意味でもそれまでの周囲の期待や評価を覆し、裏切り続けるのが才能なんだから。ヨン様が十分大人でよかった。呪縛に見合う見返りを目的に生きることができるから。木村氏のパートナーが賢い人でよかった。もしかしたらあとで離婚してしまうのかもしれないけど、それでも、強い意志をもってお互いを選んだことは彼らの人生の勲章だろう。ファンの呪縛が恐ろしくて、本当のパートナーを明かせない人は、数多くいたはずだから。

 幻想は、やはり誰でも、これからでも、もってしまうだろう。思い通りにならなかったときに、さて、どうするのか。おもちゃなら、泣いてたたいてほりだして壊してしまってもいいだろう。でも、本当はよくないよね、おもちゃでも。何とか元に戻さないと。まして人間だから、本当は、相手を傷つけるくらいならと黙って自分ひとりで泣いておいたほうが、美談だよね。・・・

 デスクトップでハリーの衣装を着て微笑んでいるダニエルは、これから新しい映画・新しい舞台に挑戦するらしい。俳優としては、これからも長く続くであろうハリーの影を超えて成長してほしい。・・・

 

2005年12月27日(火)
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