1999年、広末涼子がまだ可愛かった頃の映画である。 原作は東野圭吾の有名な小説で、以前から読んでみたいと思いつつ、まだ手を出していない。 従って、結末を知らないままに観た。
事故で娘と奥さんの心が入れ替わってしまい、娘の魂は戻らず奥さんの体は火葬に、娘の体を借りたままで生きる奥さんと、その夫のお話。 世間的には奥さんは死んでおり、心は愛する奥さんでも体は実の娘、夫婦生活を送る訳にも行かず、さあどうする? 心と体、どちらが大切なのかを問うた作品だとか何とかいう紹介文を、何かで読んだ記憶がある。 娘の体で高校生に戻って新たな人生を青春時代からやり直す気分になっている奥さんと、彼女を見守る夫。 段々2人の間には溝が出来、そんな頃ひょいと娘の魂が戻って来て、1つの体に2つの魂が交代で現れるようになる。 やがて奥さんは消え去り、最愛の妻の肉体の死に次ぐ2度目の別れを乗り越えた夫が、嫁ぐ娘を送り出すその日。
えええ〜〜〜〜そう来たか……。
というラストだった。 上映の途中で帰宅して後半を何となく一緒に観ていた主人曰く、 「まあそうだろうと思ったけれど。そうしないと話としてつまんないもんな」 だそうで。 ハイハイありがとね、その予想を言わないでいてくれて。 何だかなー、私は同性であるのに、この奥さんに肩入れ出来なかった。 心は夫婦なのに、体は親子だからキスも出来ないなんて、と若い女性としてもう一花咲かせたいと言う気持ちは解らんでもない。 しかし、だからと言って好きなように生きて良いという話にはならない筈だ。 大学に入って好きな勉強をやるのはいいのだけれど、サークル活動は行き過ぎ。 その資金は、亭主の稼ぎだよ。 年齢的に夫の方が先に死ぬから、自立のために勉強するのはいいけれど、亭主が汗水流して働いている間、若い男の子とサークルで遊ぶのはどうよ。主婦としてそれは駄目でしょ。 (専業主婦で家の中で1日中好きな事をしている私が言えた義理ではないかも知れないが) 挙句の果てに手の込んだ小細工&演技をして、娘として家を出るってどうなのよ。 しかも最後にばらしちゃってるし。どうせなら最後まで嘘を吐き通せよ。 妻に裏切られ、他所の男に取られ、この先夫は1人で寂しく生きて行くのかと思うと、可哀相過ぎて泣きそうになった。 ……あれ?何故か夫目線になっているよ、私。 いいんだ、どうせ男性脳だし……しくしく。
昔どっかのサイトで、女性脳・男性脳診断とかいうので、夫婦でやってみた事がある。 女性らしさは胸の大きさで、男性らしさはアレの大きさで判定されるのだが、それぞれやってみたところ、 主人の方が胸が大きく、私の方がイチモツが立派、という結果になった。 イチモツ、付いていないのに……しくしく。
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