| 2011年01月14日(金) |
子供の寄付行為について |
全国に広がる善意の輪。 今度は小学生のタイガーマスクまで出たらしい。 友達同士で小遣いから出し合って、買った物を寄付したという。 偉いね、立派だね、という声があちこちから聞こえそうだが、うちの主人は怒っていた。
「親がどんな思いをして稼いだ金だと思ってるんだ」
家が裕福だろうが貧乏だろうが、小遣いは親が我が子のために与えた物であり、他所の人間に横流しさせるための物ではない。 何かがすとんと、腑に落ちた気がした。 小学生達のした行いは、褒められる類の事である筈なのだが、果たしてそうなのかどうか、私は心の中にもやもやしたものを抱えていたのだ。 よく行くスーパーで先日、慈善団体か何かの貼り紙を見掛けた。 「お年玉の中から、世界の恵まれない子供達に」 とか何とか書かれており、文面は定かではないが、世界には満足な食事すら与えられずに死んで行く子供が大勢いるので、あなたが貰ったお年玉の中から幾らか寄付してあげてね、という内容であった。 その時も、私は同じもやもやを感じたのだ。 お年玉などの小遣いの所有権は子供にあるのかも知れないが、保護者をすっ飛ばして、判断のままならない子供達に直接訴えかけて、言い方は悪いがそこから巻き上げる遣り方は、大人のやる事として如何なものか、と思ったのである。 それを主人に伝えると、彼も同意してくれた。 「それは24時間テレビと同じだな。貧乏人から金を巻き上げて、更に貧乏人にばら撒く。しかも子供相手に。悪質だ」 それを聞いて私は、日本の海外援助を思い出した。 日本は中国に援助して、中国は他の国に援助しているらしいが、構造的に同じではないだろうか。
子供は兎も角、大人の寄付行為はその人の自由であり勝手だが、我が家では積極的な寄付は一切していない。 せいぜいが町内会の赤い羽根募金ぐらいか。これは断ると角が立つので、500円の臨時会費だと割り切って払っているが、出来れば断りたい。 貧乏人はとっとと死ねという訳では決して無いが、それは個人の、しかも一般庶民の善意に頼るべきではないと思うからである。 我が家はちゃんと税金を払っているのだから、その中から行政がやって欲しい。
知り合いの学校では、生徒の寄付行為を禁止している。 子供の動機は純粋だ、恵まれない人達のために自分達は何をして上げられるだろう。 そこで全校生徒から寄付を募って、そのお金を寄付しようという事で教師に相談したが、教師である知り合いは駄目と言った。 そのお金の出所は? 結局親の金だろう。 寄付をしたければ、自分で金を稼げるようになってから、その中からするべきだ。それが筋だろう。 お前達の心掛けは立派だ。その心は忘れないで欲しい。 大人になって、世の中をもっと良くするために、今はしっかり勉強しなさい。 知り合いは生徒達に、そう言ったそうだ。
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