毎週金曜日の20時からは「幸せってなんだっけ」を見るので知らなかったのだが、6月29日の「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」は、少年法がテーマだったらしい。 後で某人気初老ウェブ日記でそれを知り、YOUTUBEで見てみた。
酷いな。 平岡秀夫と郡和子という民主党議員がとんでもなかった。 私が驚いたのは、この人達が、「自分の子供が犯罪者になったら」という場合しか想定していない事。 逆に、「少年犯罪の被害者になったら」を考えないのだろうか。私ならまず先にそちらを考えるのだが。 郡和子は山本モナ(不倫するような奴は嫌いだが、この討論で私は彼女を見直した)に、 「もし自分の子供がそういう犯罪を犯してしまったら、どう考えますか?」 と言っていたが、そんなの簡単だ。 子供を殺して自分も死ぬ。それが親だ。 殺すだけの事情があればしょうがないとこの人は言った。でも私には、責任転嫁にしか見えない。 確かに、殺される側に、相手に殺意を抱かせるほどの事情がある場合もあるだろう。 しかし少年犯罪の場合、そこまでの事情はまず考えられない。 面白半分にやったら死んじゃったというケースが殆どだろう。 どれぐらい痛め付けたら相手が死ぬか、それを子供に教えて来なかった親の責任が大きい。 相手の痛みをわからぬ人間に育てた親の責任だ。 だから親が責任を取って死ね。子供を殺して死ね。 子供を産み育てるなら、それぐらいの覚悟を持ってやってくれという事である。でないと社会の迷惑だ。
少年法を完全に廃止するのには疑問が残るが、少なくとも現在の少年法では駄目だ。 この番組とともに、新潮45編集部編の「殺戮者は二度わらう」中「反省し『シャバ』に戻った少年少女のそれから〜名古屋アベック殺人事件」を読んで、強く思った。 加害者達は、被害者達が望んでも叶えられない未来を手に入れて、過去の事は過去の事として、自分の罪を切り捨てて生きている。 そして被害者遺族は、大抵悲惨な人生を過ごすのだ。これはどう見てもおかしくないか? 少年に限らないが、罪を犯した者が生きるなら、一生十字架を背負って欲しいと思うのだ。
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