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おとなの隠れ家/日記
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2004年09月29日(水)
命の大切さを教えよう




大切な課題だし、前向きであることはもちろん賛成なのだが
どうも、この「教えよう」という言葉にひっかかる。

3歳未満ならいざしらず、学校という名のつく場所に来る年齢のこどもに
学校側がプログラムを組んで教えるような内容なんだろうか。


「今のこどもたちは知らないから教えるんだ」


そういう声が聞こえてきそうだが
わたしは、こういうことは、こどもが自ら感じるて学び取るものだと思うんだ。
学校生活よりも日常生活に存在するテーマだとも思うし。


こどもたちは言ってたよ。
命が大切だということは、頭ではわかってるって。


わたし的には、この「頭ではわかってる」と区別していることも気にはなる。
頭でわかっている、じゃどこでわかっていないかというと
どこよ? ハート?
どこでわかればいいわけ?
心と体は繋がっているんじゃないの?

こういうこと、聞いてみたいな、こどもに。


わたしは命の大切さは、たぶんわかっていると思う。
が、具体的に、どこでわかっているのか、わからない。
きっと、何かを見て感じて、自分で考えたんだと思う。
でもね
どこからどこまでを「命」というかについて、今でも迷うことはある。
大切だと知っていながら、大切にしていない自分も存在している。



「命は大切です」といわれれば、大切なんだと覚える。
キーボードでAを押すと「A」と画面に出てくるように、ただそれだけのことを
頭ではわかっている、というのならば、それは
作られた台詞をくちにしているのであって、
大切だという意味は、わかっていないのかもしれない。


金魚が死んだらトイレに流すような時代だからね。
大切なものをゴミ感覚で扱うはずはないと思うのだが、わたし的には。
こどもなら迷うと思うよ、こんなことやってて「命は大切です」と言われても。
人間の都合上、大切なものと大切じゃないものがあるように、思う。


「だって埋める場所、今時そうそうないのよ」


これがおとな的な考えなわけよねぇ。


「命は大切です」

言葉じゃなくて感覚的なもんじゃないだろうか。
ネロが眠るように息を引き取り、パトラッシュが寄り添うように逝ってしまう
あのシリーズ観るだけでも、精神的には、かなり刺激があるはずで

もしも、それを感じられないのなら
もっともっと基本的なところに、欠落しているものがあるのでは?と、思う。

感じる心、喜怒哀楽を表現する力
そこに何か問題があるような気がしてならない。


今のこどもたちには、どうして大切なのかを考える時間を与えられていないように感じる。
一方的に大切だ、なぜなら、と説明するだけじゃ、伝わらないと思うんだ。