START NEW INDEX MAIL BBS


おとなの隠れ家/日記
marko

MAIL
BBS


クリックすると
ランキングに投票されます♪

My追加


2004年07月06日(火)
息苦しい世の中




自分が置かれた立場でモノを考える


そういうもんだと思うんだけれど
その先は道が分かれているような気がする。


自分を正当化しようとするか
自分の考えはこうだと言うのか。



ヒトに良く思われたい
正しい道を歩んでいると思いたい


そんな願望がわたしにもいくらかある。
だけれど
そのために生きているわけじゃなくて

誰かに自分をひけらかすために生きているわけじゃないから。



足りない部分を何かで埋めて
本当は埋まらなくてもそれでいいことにしてしまうことと

足りない部分を何かで埋めて
そこからまた別の何かを得ようとすることとは

わたしの中では大きく違う。


誰かに憧れて
誰かをうらやましいと思って


そんな感情は知らず知らずのうちに「比較の罠」に落ちているともいえるが
それらをプラスの方向へ持っていくことも可能なわけで。


足りないものを得ようとする気持ちも
ないものねだりのまま、あきらめようと思うのも
誰のせいでもなく、自分の選択によるものだろうと。


物事に優劣をつけたがるのはありがちで、別に珍しくもないが
優であっても劣であっても、それがどうした?と思う。
優も劣も、比較する枠は自分と他の人とじゃ違うだろう?


気に入らないんだよね
優だと思い込んでいる人が劣だとこれまた勝手に思い込んでいる人を
平然とみくだしている姿が。
劣だと思い込んで自分を責める、
もしくは優の粗探しで自己満足をえようとすることが。


ハートで感じることを、忘れすぎじゃないの?
目に見えるものばかりを信用できることのほうが、
わたし的には驚きだ。


優劣や良い悪いを押し付けるのは、固い頭を解凍してからにしてほしい。
自分の意見や考えは、世間体やら見栄やら妬みをとっぱらってからにしてほしい。
人の話に耳をかさずに、見たほうがいいことから目をそらして語っている話なんて
うんざりなんだよ、わたし的には。


息苦しいったらありゃしない。