我慢しちゃうひと。 - 2009年09月02日(水) 朝、札幌から釧路に向かって移動する。 いつも思うのだけど、何故か私は、乗り物に乗るときは絶対に遅刻しない。ある程度の緊張感が働いているのかな。 今日は母の手術です。 月曜日に電話で父が教えてくれた病棟の病室に行くと、廊下に父が立っていた。私が到着する列車の時刻を見計らっていたらしい。 病室のベッドには、やはり母が横になっていた。 何か。 核酸ドリンクをガバガバ飲んでいる(何故だかガンと知ってから飲み始めたらしい)せいなのか、入院してゆっくりしているせいなのか、きれいになってました(笑)。 ツヤツヤ、ピカピカな肌で 「あー、まおたん心配かけてごめんねー」 と言う。彼女、ピカピカだから「ほわーん」という幸せな疑似ハッピー的雰囲気。 それから、あんまり緊張している様子はなかったので、いろいろと喋ったのだけど、病棟の師長さんや看護師さんが術前に気遣って話しかけてくれるのには、少し気弱な顔をしていました。 手術が近くなって、叔母のNちゃん(母の妹)と、従弟のyoくんが来てくれました。 ぞろぞろ、手術室の前まで母を送る。歩けるので、ストレッチャーには乗せられず、普通に歩行していきました。 父と叔母は、母が卵巣摘出のときストレッチャーで運ばれて行ったのを思い出して、歩いて行くほうが見送るほうの気が楽だと言っていたけど。 うーん、そうだろうか…。 連れられていく感じ。ドナドナな感じは変わらない気がするよ。 従弟のyoくんが、入る直前に、母へ 「頑張ってね!」 と言ってくれました。母は 「うん!、ありがとう」 と言い、すたすたスリッパで術場に歩いて入っていきました。すごい呆気なく。悲しいのは私だけなのかしら、という勢いでした。 yoくんはその後、 「…うーん、手術受けるひとに頑張って、って言うのも何だかねえ」 と言ってましたが、何か、言ってくれて嬉しかったです。私は今日、母に頑張れと一度も言うことができなかったので。 言えなかったですね。 頑張っても、左胸なくなるんだろと思ってしまって。 グラビア級(笑)の胸を持つ私の母は、私の母なのに超貧乳。Aカップのブラが余ります。 だから、なくなっても大丈夫、目立たないから、と言ってますが、目立たないことだけが大丈夫なのであって、なくなることは大丈夫じゃないと思います。 現に20年前に、卵巣をひとつ摘出したときも、お腹の手術跡に悩んで――もしかしたらつい先日まで悩んでいた母でした。 胸がなくなってもUちゃんはUちゃんだと、私に教えてくれたときに父は言っていましたが、何かそれって、人間性を大切にしているという点では正解だけど、もう母を女だと思ってないんだ、このヒト、と思ったり。 私はその言葉を聞いてかえって複雑だった(その言葉を母に言ってて欲しくないと思ったほど)です。 彼女の母乳で育った私も、胸がなくなっても母は母さー、と思うけど、本人はそう思えないんじゃないかなぁ…。 手術は2時間半くらいかかりました。 まだ寝ぼけてるレベルで運ばれてきました。帰りはストレッチャー。履いてったスリッパを看護師さんがちゃんとビニールに入れてくれてたのが、ヘンに印象に残りました。 「大丈夫?、痛い?」 と看護師さんに訊かれて、まだ麻酔からはっきりと覚めていない母がホワホワな状態で答えました。 「痛い――けど、我慢できる」 それを聞いたら、何か堪らなくなっちゃって、ぼうぼう瞳孔開いたまま突っ立って泣きました。 何で我慢するかな。 そんなに我慢強いから、こんなになっちゃったんだろ。 何でもかんでも我慢するから。 叔母が気付いて、ティッシュをたくさん渡してくれました。 19時で面会終わりなので、父と帰宅。 もやしの上に豚バラの薄切り乗せて、レンジでチンして、ポン酢で食べて寝た。 疲れた。 いやー、ほんと疲れた!!! ...
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