みかんのつぶつぶ
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2002年09月02日(月) 分析

9月の闘病記を読んでいて感じたことは、
最期の抗がん剤治療を終えてからの状態が、
それまで陥っていた状態とはちょっと違うという落ちこみと、
だけどまたいつものように元気になってくれるのだろうという希望と、
交差して闘って、でも、
やっぱりどうしても死が近づいていることへの不安がつきまとい、
病室への足取りも重くなり、
予期悲嘆という状態に陥り始めていた時期だったのだと思う。





眠っている時間が長くなり、
彼と会話できることも少なくなって。
だからこそ時折なにかを要求する言葉を彼が発してくれると、
それだけでとても気持ちが明るくなったものだった。


でも逆に、
要求する気力も体力もなくなっていた彼に、
やっぱり酷な場所だったのかも知れない。
あの病院では、
自分のことは自分で処理できる患者だけが居る場所であって、
彼のように要求もしない患者はどこまでも放置され、
要求できない患者に思いやりを持つシステムはないのだ。
病院とは、そういう場所だ。


付き添う者がそういう場所だという見極めを持たないと、
患者だけがどこまでも一人苦労をするだけで。
不自由だと口にできない彼が、
どんなにか不自由な思いを抱いていたか。
いまとなっては分析するしかできないことだ。
だが、
付き添う者もまた、
患者と同じように精神的な負担も大きく、
そんなに分析解析している余裕ははっきりいってないもので。
だからこそ、
看護士や医師を信頼し、助けをかりる場所が病院だと思うのだが...


「思いやりの看護」


思いやりを持たない性格の看護士も、
訓練によって思いやりを身につけることはできるはず。





足りなかったよ、あの病院は。




そんな場所でも、彼にとって良かれと選択した場所だったのだけどね。



私自身も、もっと気丈にしていられると思っていたのだけれど、
私の手のひらに乗っている命を、どうしていいのか、
もう分からなかったんだ...





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