みかんのつぶつぶ
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去年の今日だった。2ヶ月半ぶりに家へ帰ってきたのは。 たった15時間だけの外泊だったけど。
荷物をまとめて、ベッドの上で迎えを待っていた。
今年は、 この土の下で私を待っている。
今日は、呼ばれているような気がして。 たとえ台風でも行こうと思っていた。
小田急線は相変わらずのんびりと走る。 長い道中に用意した本を読む。
死ぬ瞬間<死とその過程について> E・キューブラー・ロス
相変わらず隣りの小学校からは子ども達の元気な声が響き。 境内には人影もなく。
湯呑み茶碗に水を注ぎ花を浮かべ。 晩酌に使っていたビアジョッキにハイネケンを注ぎ入れ。 花はなるべくたくさんの色合いのものを挿し。 父が好きだったユリの花も混ぜて一緒に供養。 煙草はパーラメントのメンソール。
お線香の煙は、小雨に消えることなく焚き上がり。
傘をさし、佇む私。
いろんなことが、ありすぎて。
こうして墓参をすることに、何の意義があるのだろうと思う。 形式的になることに、とっても嫌悪感を感じる。
寂しくて辛くて側に来て欲しかったのは、生きていたときだった。 花を買って笑顔を見せて談笑したかったのは生きていたときだった。
一緒にいながらも、彼には永遠の時がないことへの失望感。
毎日、1時間、1分、1秒、すべてが別れに繋がる悲痛な想い。
ひとはね、病気で死ぬんじゃないんだよ、寿命で死ぬんだよ。
彼が49年間という寿命を持って私と出会い、 私は彼のその尊い命が終わる態を見つめるために彼と出会ったのだろうか。
そうなのだろうか。
そしてこれからも、私のこの命が尽きるまで、 こうしてここに花を供えに通うのだろうと思うと、 それは永遠に続く彼との時間のような気がする。
今日の雨は、優しく、 私を納得させるように。
傘をさせば、涙は隠せる。
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