みかんのつぶつぶ
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2002年06月05日(水) 氷点

確か去年の日記で、
簡単に「みなさん癒されたことと思います」
という言葉を放ったボランティアの司会者へ、私は少々苦言を書きとめていたと思い・・・

がんセンターで治療をするということは、
明らかに「自分は癌である」という認識のもとにいるわけで。

「癒し」は、人から与えてもらえるものなのだろうか?
また、与えることができることなのだろうか。

このエンピツ内の闘病ジャンルで綴られている様々な言葉を、
人各々背景を抱えて読むひとがいるのだろう。
同じ境遇だったり経験をして、相通ずるものを見出して。
そして、その人各々の表現された言葉によって改めて理解納得できることがあり。

その「痛み」を綴った文章を読み理解共鳴することで、
自分の「痛み」を「自分自信」で癒すのではないだろうか。
それは、患者ばかりではなく、患者を知る人間にもあることで。

そういう状況に置かれて初めて気づく細かい心情があるということを思慮せず、
痛いと呟く人間を理屈でねじ伏せようとすることはとっても無理があり、
それは、ただ単に「脅し」としかならないこともあり。

励ましは、残酷なときもある。

何が、
何で、
どうしたら少しでも患者の心を癒せるのか、
そんなことは患者自身にさえもわからない。

わからないから付き添う者も苦悩する。

苦悩して、自分で死を選んでしまうひともいる。

もしかしたらそれは、患者自身が選んだ癒しの時だったのかも知れない。





私は、無知で非常識な人間だ。
だけど、これだけは知っている。



死にたいほど絶望しているのに、

その病ゆえに、

自分らしく生きていくことも、

自分らしく死んでいくことも、

どちらも選べず必死に自分を模索して生きる苦悩を。

四角い病室のなか狭いベッドの上にいることしかできない姿を。

己の世界へ逃避するしかなかったその変遷を。




その姿は、私を苦悩させる。
思い出し、消化できず、掘り下げて、また苦悩する。
だからこうして文章にし、その姿を綴らずにはいられないのだろう。
これが私の唯一癒されるときなのだろう。


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