例の明徳の子のミラーサイトから引用。 (彼の人生論らしいです)
この世、この世界自体には意味はなく、 故に、基本的には全てのものにおいて意味は存在しない。 意味とはある限られた視点、条件の中でのみ発生し、 それは後から付けられた、存在や価値観の認知や肯定 のためのものである。 従って命や人生というものも基本的に意味はなく、 (それらに対して意味という言葉が用いられる場合は、 一般的に、社会内においてまたは生物学的な本能においてなどを前提として用いられる。) 生きることに対して義務的なことを感じる必要はない。 また、全ての行動において責任をとる覚悟と能力が 有るのならば基本的には全て自由である。
たぶん、言葉にすると僕も同じことを言うはずなんだけど、どうして僕は彼の方へ行かないのだろうか。 いったい、彼と僕の何が違うのだろうか。
仮説�〜佇�向性の欠如 彼の日記を読んでいて感じた疑問の一つに、彼は自分のメッセージの受け手をイメージ出来ていたのだろうか、ということがある。 僕がこの日記を始めたとき、具体的に氏名を挙げられるような明確な対象があった。 当時、僕の周りに居た人たちが読むことを意識して僕は日記を書いていた。 それは今でも同じだけれど、これを読む人たちがいて、どれだけ好き勝手書いているように見えても、ここにある言葉は全て僕の中で吟味されて選ばれた言葉なのだ。 読み手に対するメッセージとして機能するように、自分が書きたい言葉と相手が理解できるであろう言葉がいつもせめぎ合っている。 もしかすると、彼にはそれがなかったのかもしれない。 彼がメッセージを届けるべき相手を想定できなかったために、彼のメッセージがメッセージとして機能しなかった可能性がある。 そうなると原理的にそこにコミュニケーションは存在せず、他者を認識することは出来ない。 認識できない他者は他者ではなく、殺すことも容易かもしれない。 と、この方向で議論を組み立てられるかもしれない。
日記、6月を読み始めました。 ここまでくるとさらに思う。 やっぱり、この日記って誰も読んでないよな、と。 僕が書いているこの日記のように、自分の書いたことが読み手に伝わって、読み手から何かしらのフィードバックがある、という営みがないような気がする。 そこは彼と僕との相違点の一つだと思う。
ところで、もしかしたらものすごく重要なことかもしれないけれど、彼ってちゃんとオナニーしてたんだろうか? 日記を読む限り彼女はいないようだし、趣味も健全なものばかりで欲望を純粋に消化しようと躍起になっているし。 家の仕事を手伝ったり、学校が嫌いだったり。 17歳そこらの高校生がそんな生活、オナニーでもしてないとやってらんないと思うんだけど。 彼の不健全な部分って、殺すとか死ぬとかそればっかりでもっと直接的に性的なことがあった方がいいような気がする。
つまり、彼には「カウンター」がない。 これは僕の人生のモットーの一つなのだが、必ず反対勢力は必要だと思うわけだ。 カウンターカルチャーのカウンターですね。 何事も反対勢力がなければ濁り、淀む。不健全になってしまう。 カウンターの存在が全体に緊張を与え、健全な姿勢を保つことが出来ると僕は思っている。 だから、組織の中でその役がいなければ僕は進んでカウンター役になるわけだが。 彼にはそれがないような気がする。 だから健全なバランスを保てないのだ。 傾倒したとき、引き戻す逆向きの力がない。 そして倒れる。 健全と不健全の絶妙なバランスが本当の健全を保つ。 だから、カウンターは必要なんだ。
僕がいうオナニーは写真とかインテリアとかいう健全な趣味に対するカウンターのことです。 嫌な人間関係のカウンターとしての良い人間関係。 それらのバランスが取れなくなったから、戻って来れなくなっちゃったんだろうか、とこれも仮説の一方向性として可能性があるような気がする。
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