前回の日記に関して反応があったので続きをば。 話の流れが分からない人はホームページへ行って掲示板を見てください。 では、以下、どうぞ。
それ自体を研究の対象とする統計ではなく、道具としての統計は十分に有効であると僕は実感します。 それは僕が卒論で使ってみた手触りに基づく実感です。 それ以上は今の僕には説明できないのですが。
おそらく問題なのは統計の用法だと思っています。 これを用いる場合、統計的手法と用いる対象の両方を熟知している必要があります。 そこでどちらかが欠けている場合に機能不全を起こすのではないかと。 はっきり言って高校を文系で卒業した社会学系の人間が統計をまっとうに活用できるとは思えません。
ちなみに統計には確認的用法と探索的用法があります。 仮定がある場合が前者、仮定がない場合が後者です。 東浩紀はまず仮定を立てていると言えるので、彼の論理を別の角度から確認する作業があってもいいのではないかと思いますが、それは僕の興味とは離れているので放置です。
僕としては心理、統計的な手法で持って探索できないかと思っていたりします。 「データを取ってみたらこんな結果が出た」 「う〜む、これはどういうことだろう?」 と。 そのとっかかりとして、まずはゲームと言うメディア自体が持つ影響から考えてみるやり方を誰かしないのかな?と疑問に思っているわけです。
ここからは前回の補足的な話になりますが、ゲームのハードについてです。 ソフトは必ずハードに規定されますし、プレイヤーにも影響を与えます。 その点ではパソコンゲームとテレビゲームは決定的に違うのですが。 パソコンは操作に必ずキーボードとマウスを必要とします。
ゲームパッドでプレイできるゲームもありますが、パソコンの操作全体ではキーボードとマウスをどこかで必要とします。 一方、テレビゲームはパッドのみを利用します。 これは決定的な差です。 テレビゲームを寝転がってプレイすることは出来ますが、パソコンゲームを寝転がってプレイすることは出来ません。 パソコンゲームはほとんどの人がディスプレイに正対してプレイしているはずです。
これはそもそも、ユーザーがディスプレイの正面にキーボードを置かなければ使い勝手が悪い、という現在のパソコンの性質がユーザーに強制しているシステムです。 パソコンに関するあらゆる機器は有線である場合が多いため、一箇所に密集、固定する必要があります。 そうなると必然的にシステムの一部であるユーザーも物理的な空間を固定する必要があります。 僕はこれが人間の認識に何かしらの影響を与えていると考えているのですが、それをゲームと関連して研究している人はいないと思います。
例えば視点移動などの肉体的な負荷が作業効率などにどういった影響をおよぼすか、などは基礎心理学の古典的な興味の対象ですが、ことゲームに関してはそのような基礎的な研究さえないような気がするのです。 つまり、外界から物理的な刺激を与え、それが精神的に与える影響について考える、という作業です。 そういう側面からゲームにアプローチすることは無駄ではないと思っているのです。
やはり、文芸批評しかない、というのは変だと思うのですが。
|