最近、僕に対して大人だの年を取ったのだの言う人が多い。
教授に対して、いかに無礼講な場とは言え、全くのタメ口で同い年の友達のように喋る子を人前でメチャメチャに批判して見た。あれがあの子の性格だとみんなはかばう。けれど、 「あれは人として間違ってる。」 と、僕は言い放った。 その僕の発言に対してある先輩が「それは自分が年を取ったからだ。」と言った。 だから無礼が許せないんだと。
酒の席で後輩が 「バイクに乗ってる人がカッコイイって言う子もいるんじゃないんですか?」と言ったので 「そういう女は信用ならん」と言い放った。 知りもしないくせにイメージだけでカッコイイという女は信用できない。 その僕の発言に対してその後輩は「先輩って大人な考えなんですね。」みたいな事を言った。 口先だけの女には騙されない冷静な視点。
本当にそうなのか? 僕は大人になったから、物事を冷静に見て、無礼や偽りを許せなくなったのか?
僕が求めているものは「真実」だと思う。 わかりたい。 知らないまま、わからないまま悔やみたくない。
その道程として「正しさ」がある。正しさの先に真実を求めている。 そのために僕は正義を振りかざそうとしているんじゃないだろうか? だから、正しくない事に腹を立てる。
そこで再び、疑問が起こる。 自分が正しくないと思う事に憤り、それを表明するのは大人なのだろうか? 正しさは自分の基準である。 たいていは普遍的な真理に到達できていない、不完全な偏見である。 なのに、それを振りかざして憤る事が本当に大人と言えるだろうか?
それは「若さ」じゃないかと思う。 間違いを他人のせいにし、全てを怒りの対象にする、若さじゃないだろうか。
正しさの先に真実を求める事自体は間違っていないと思う。 けれど、若さに起因する怒りを原動力にしていては、前には進めない。 そこに囚われていてはいつか復讐される。
と、頭では理解できても、今の僕にはどうしていいのかわからない。
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