Sun Set Days
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2003年11月23日(日) Atmosphere

 昔、出張の多い部署に所属していたときに、結構飛行機に乗る機会があった。
 九州とか、東北とか、北陸とか、様々な地方に行くためにいくつかの空港から飛行機に乗った。
 国内線ばかりだったのでなおさら似通ったイメージがあるのかもしれないけれど、地方空港にはどことなく似たような雰囲気があった。
 それは、そこが出口というよりは入り口だというような印象と、時間の流れが急でもゆっくりでもなく中くらいというような感覚だ。

 どんなに急いでいる人でも、飛行機の離陸前にはある程度の待ち時間の中に身をおかなければならない。
 たとえ、自分ひとりだけ先に飛行機に乗り込むことができたとしても、離陸することはできないし、かといって搭乗手続きは時間内に済まさなければならない。
 その間を少しでも短くすることはもちろん調整可能だけれど、けれどもなくすことはできない。
 さらに言うとたいていの人は少し時間に余裕を持って空港に行くから、必然的に待ち時間が確実にある程度あることになってしまう。
 搭乗手続きを経て手荷物検査のゲートをすぐにくぐるかどうかは人によるのだろうけれど、それでも多くの人が出発カウンターの近くにある椅子に座って受け付け開始の時間を待っている。どこか一様に無個性な感じで続いているロビーでは、その間急でもゆっくりとでもなく時間がただ流れている。ごく普通の速度で。

 空港にいて、飛行機の出発の時間を待っているのが好きだった。
 忙しかろうが、そうでなかろうが、飛行機が離陸するまでの間は、自分の手を離れた時間でどうすることもできないのだという感覚が強かったからなのかもしれない。確かに気楽な感じがあった。雑誌を読んでいてもいいし、本を読んでいてもいいし、音楽を聴いていてもいい。もちろん仕事をしていてもいいし、ノートパソコンを広げていてもいい。それらに飽きたら、必ずある売店に行って、コーヒーを頼んだりお土産をひやかしてみたりしてもいい。とにかく、その狭いエリアの中で出来得ることであれば何をしていてもいいのだというような気楽さが常にそこにはあって、だからよりその時間と、その時間を提供してくれる空港がなんとなく好きだったのかもしれない。

 いまでは遠い場所への出張などは基本的にはないので、飛行機に乗ることも当然ないのだけれど、それでもときどき空港のことを思い出す。あまり目立たない色の椅子が整然と並んでいる姿や、ニュース番組を延々と流し続ける小さな台に乗せられたテレビの姿を思い浮かべてみる。そして、そこにいるすべての人に、同じような速度の時間が流れていることを思い出す。

 時間の感じ方、長さの捉え方には個人差があるし、そのときの感情や状況で大きく変化してしまう。。
 けれども、空港の中での待ち時間は、様々な時間の中では比較的同じような速度で捉えられている時間というような気がする。もちろんそれはただそういう気がするということでしかないのだけれど、そんなふうに同じように感じられている時間の中で、たくさんの人が思い思いの何かをしている(あるいは何もせずにぼんやりしている)というのは、とても健全なことのように思う。


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 年末に出る小沢健二のニューアルバムって、どんな感じなのでしょう。


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