ちょっと真面目なことを

新聞各紙でも話題になっているが
東京大空襲、大阪大空襲から60年が経とうとしている。
当時のことを知る人が随分と少なくなってしまった。
もちろん数々の書物が出ており、見るも無残な
とてもやりきれない気持ちになってしまう写真も多数残されてはいる。
しかし、それは一部であり現在残されている資料の数より多くの人が
辛く悲惨で苦しい思いをしてきた。その地獄のような光景は
言葉だけでは伝えきれないことかもしれない。
東京の方では絵を募集したりして風化を防ごうとしている。
新聞紙上でもそれらの話は取り上げられ、体験談を目にする度に
目頭を熱くさせている自分がいる。
我々は戦争を全く知らない世代であり、そのような悲惨な体験談を
できるだけ目を背ける様にして生きていた節がある。
しかし目を背けているだけでは避けられない事実があるのも
認識していかなければならない。
今回はアメリカの無差別爆撃に対する糾弾はあえて触れないが
この時の悲惨な体験に耳を傾け風化を防ぐことが
21世紀を生きる我々にとっての使命の一つでは無いだろうか。
私たち日本人がどのような犠牲の元、今の生活を送ることができているのか
それを再び認識する上でもこの60年の境目を機に
もう一度深く心に刻み付けておくべきことではなかろうか。
2005年03月11日(金)

Dag Soliloquize / tsuyo