無能の礎

中学生へのアンケートで実生活に役に立たない教科として
理科が最高の数字を出したという。
しかしながら理科という教科はそんなに実生活に役に立たないのか?
何も特殊相対性理論を完全に理解しろということではない。
せいぜいが遺伝の法則がどうのこうのや植物の構造などであろう。
それくらいの知識を役に立たないからといって得ようとしない
中学生の狭量にも辟易するが、理科が役に立つか立たないかは
テストの良し悪しによって決まるものではない。
例えばこんな話がある。
アメリカの内陸部で空から魚、しかも海棲魚類が降ってきた。
空には雲が無く、飛行機の航路でもない。
では何故降ってきたのか?
この現象の捉え方によってあなたの科学的思考がわかる。
宇宙人の仕業だろうか?それとも心霊現象か?
そんなことはない。
答えは簡単である。海上に起こった竜巻によって魚が巻き上げられ
上空に達したところでジェット気流に乗り内陸部にまで運ばれた。
ただこれだけの事実である。これくらいは中学程度の理科知識があれば
十分に考えられる結果である。UFOだの心霊現象だのと大騒ぎすることではない。
しかし今の理科離れにメディアによるトンデモ理論の浸透もあり
少し奇妙なことがあるとUFOだ心霊だと大騒ぎするのだ。
なにもUFOや心霊を否定するわけではないが、一つ気をつけて欲しいのは
そのような奇妙なことに乗じてよからぬ事をする輩がいることだ。
不幸続きの人に対して水子霊がついているなどと騙して法外な額を騙し取ったり
という話はよく聞くところだと思う。ましてやオウムなどは
少し冷静な目とちょっとした科学的思考があれば
胡坐を組んで飛んでいる姿を空中浮遊などと言って騙されないはずだ。
もちろんそんな甘言で心が休まる人もいるのだろうけど、
問題はそのやり方である。統一教会の例で見られるように
献金のために膨大な額を貢ぎ、おまけに家族が崩壊したなんていう
とてつもない不幸を抱えている現状から考えて、その心の安らぎというものが
果たして本当の心の安らぎか、幸せかということは言うまでもないだろう。
(もちろんこの問題は根深いので簡単に断定はできないが…)
随分と話が長くなってしまったが詰まるところは
理科という教科によってアヤシイ人たちの考えから身を守ることが
可能であるということだ。これは簿記検定や書道の段取得よりも
よほど実生活で役に立つことではないだろうか。

そもそも勉強というものは実生活に役に立たなければやらなくてよいものなのか?
そんなことを言い出せば私がやっている社会学なんて無の極みではないか。
義務教育で嫌々ながらも様々な教科を受けるということは
将来の労働に向けての初歩的な職業訓練という向きが多いながら、
人一人一人が新しい可能性に接する機会を増やすことにもなるのだ。
突如化学という教科に出会い化学の道を志した上に大発明をして
大きな成功を収めることだってありうるし、理科の教科書で見た
天体写真に惹かれ天文学を志すようになりホーキング博士を超えるような
そんな偉大な科学者が生まれる可能性だって秘めている。
理科に限らずとも古典に出会うことによって平安時代の文学に興味を持ち、
当時の文学書を漫画化し大ヒットを飛ばしたり、俳諧に興味を持ち
正岡子規を超えるような俳句体系を打ち立てる可能性もあるのだ。
短絡的に考えずに長期的視野に立って考えると
若いうちに多くの物事を体験しておくことがいかにその後の可能性を
増幅させるかということは確率論的に言っても正統といえるであろう。
実生活に役に立たないからといってその道をシャットダウンしてしまうことは
役に立たない知識を仕入れて「へぇ〜」と喜んでいる国民とは思えないほど
ナンセンスなことではないか。
2004年08月02日(月)

Dag Soliloquize / tsuyo