レッドホットチリペッパーズ=レッチリ

↑って常識やろが!
しかし新人の研修プログラムが思いつかない。
そもそも何故自分がこんなプログラムを
立てねばならなくなったのか?
それ自体がすごく不思議な話である。
実際のところ降って沸いた話なのである。
いつのまにかプロジェクトチームに入れられていたのである。
このプロジェクトチームが
前から編成されるという話は知っていたけど
でも、自分がそのチームに入れられることなんて
夢にも思っていなかったのだ。
入れられた理由はとある人からの推薦らしい。
でも、ピンと来ないのが本当のところで、僕自身未だに
「何で僕が?」
という気持ちでいっぱいである。
おかげで遅刻はしにくくなったし、人の目を盗んで休憩
なんてことが出来なくなった。もしそんなことがバレたら
「研修を行うべき人間がそんなことでいいのか?」
なんていわれるのがオチだから。今まで以上に周りの目を
気にしなければならなくなったのはちょっとシンドイ。
でも、しんどい事ばかりでもない。
それだけ日頃の働きを認められたということなのかもしれない。
いや、でも日頃そんなにたいした働きを
していない気もするような…
う〜ん、真面目にはやってるように見えるのかな?
あ〜、またマイナス思考になってしまった。
でも、やっぱり必要とされているのは嬉しいことです。
××を××××程度にしか思われてなかったり
単なる××程度にしか思われていないよりはずっとマシだ。
必要とされている分それだけの働きをしようと思う。
それだけ評価されてるのだから。
評価で思い出したけど、
わりとゼミの先生にも評価されてたりする。
もっと色んな本を読んだりしたら
もっともっと力がつくと言われた。
そういえば大学に入ってから
色んな本を読む時間を摘み取られていたなぁ。
大学生って勉強をしないと学生って言う称号が泣くと思う。
人によって価値観や優先順位は違うと思うけど、
やっぱり勉強しに学校に来ているのは変わらないことだと思う。
ましてや外圧によって留学もできない学生が出るのは酷い話だ。
おっと話が逸れてしまった。
そう、自分の中ではもっともっと勉強したい
そんな気持ちがある。まだまだ勉強し足りないし、
もっと勉強したいことがある。
大学院にだって行きたいと思うことがある。
でも、家の状況的に大学院に行けるほどの余裕は無い。
今だって十分苦しいのだ。
そんなことを考えると何の苦労も無しに
勉強嫌だけど大学に来た、とか平気で五回生決定とか
言ってる連中が恨めしく思う。
もう一度大学という定義を
考え直すべき時代なのかもしれない。
大学に行っておかないと良い会社に入れないなんて社会が
出来上がってるから本当に勉強したい人間が苦労するのだ。
昔から勉強したい人間に限って勉強できないなんて話をよく聞く。
結局金持ちでなければ何もできないということなのか?
なんて僻んでしまうこともあるけど、
僻んだって状況が変わるわけでもない。
でも世の中って不公平だよな。
でもそんなこと言い出したら
僕はイギリス人の階級制度の中に放り込まれたら
きっと耐えられないよなぁ、
なんて事をつくづく思うのでした。
まぁ、どんな方法でも勉強はしていけると思うけど、
学生の時くらいは社会ごっこなんてせずに
思いっきり勉強したいよなぁ。
2002年07月18日(木)

Dag Soliloquize / tsuyo