人生の勝敗

よく人生の勝ち組、負け組と言う言葉を耳にする。
しかし、人生と言うのはそう簡単に勝敗が付くものだろうか?
まだ人生が終わったわけでもないのに勝敗なんてつくものではないはず。
九回裏で逆転満塁サヨナラ優勝ホームランがあったり、
人生が終わってもロスタイムでVゴールを決めて後世に名を残したりする。
そもそも人生の勝ち組って何だろう?
それは自分の人生がうまくいっていると思っている人間が
うまくいかない人間を蔑んで優越感に浸るという悪趣味極まりない
差別精神の表れではないだろうか?
勝ち組と思っていても次の日に何らかのアクシデントに巻き込まれて
負け組みの仲間になることだって充分考えられるのだ。
それにこんな考え方もある。
「人生の勝ち組というのはその後もずっと勝ち続けていかねばならず、
 結局本当の意味での勝ち組なんてごく僅かだ。」
これは社会学博士課程の人の言葉だが、言いえて妙だと思う。
結局勝っても弱肉強食の世界なのだからいつかは負けるはずだ。
そういう風に考えたらある程度勝ってあとは負け組にいるほうが幸せだろう。
そもそも勝ち組の基準とはなんだろうか?
一流大学に入って一流企業に入って一流の生活をする、
といったところだろうか?
ところが、それが人生の価値とは限らない。
京都でキャラクターショップを経営する某氏は言う
「あらかじめ決められたレールで事を運んでいっても、
 大事な物は見えない。今の若い人は価値観を決められて
 窮屈だけど、一般に勝ち組と言われているのは
 一部が決めた価値観でしかない。自分の人生の価値は
 自分で決めるものだから。」
かなり的を得ている発言である。例に自分の今までの人生を挙げてみよう。
自分は今全国で無名の二流大学の学生で、一芸に秀でているわけでもない。
彼女もいないし、かなりのヒネクレ者で嫌われ者だ。
ほら、これだけでもうすでに負け組だ。
じゃあ本人はどう思っているかと言うと、これがまた微妙である。
負け組には変わりないかもしれないけれど、別に勝って嬉しい訳じゃない。
むしろ勝ちすぎて人の弱みがわからなくなる方が嫌である。
と本人は思っている。
嫌われ者とあったけど、別にこれは一部のことであって、
世の中全ての人間に嫌われている訳じゃない。
自分のことを認めてくれて必要としてくれている人間がいる。
それだけでも十分過ぎるほどだが、期待してくれている人がいるのも
事実で、別に人生に負けたとかはあまり気にはしていない。
別に大学だけに友人がいるわけではない。
地元にも親友と呼べる人物はたくさんいる。
もちろん大学にもいたんだけれど、その友人を失ってしまったのは
悲しいことではあるが…。
話が逸れてしまったが、結論としてはこうである。
「人生の価値は他人が決めるものではない。
 その人の人生にはその人の価値がある。
 もし負けていても逆転はいくらでも可能だ」
2002年03月16日(土)

Dag Soliloquize / tsuyo