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| 2003年06月13日(金) ■ |
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| 財布を見ればオケラになっている・・・! |
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10時過ぎに起床。しかし眠たい。 12時過ぎに登校。PCルームでwebサイトを見物。 とりあえず某サイトは進展なし。なのでカキコもせずに放置と。 ・・・ >3・これはホントのオマケですが、うちの大学の食堂で売っている >杏仁豆腐(100円)より、セブンイレブンで売っているもの(160円)の >方が上手い。量も多いし
という過去の日記に書いた事柄について「お問い合わせ」を受ける羽目に なったり、講義でもイロイロ考えさせられたり、それなりに つかむところもあり。18時からの講義も一応受けました。
今日のオマケ;「姫路家いわしのブックレビュー」
今回の1冊『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ(著:森川嘉一郎/幻冬舎・1500円)』 えーと。この本は、昨日の書店散策時に「都市」のコーナーに平積されていた 本であります。タイトルから見れば「?」なのかもしれませんが、内容的には 非常に学ぶところが多かったわけであります。 秋葉原という場所がなぜ最近オタク街化したのか、講義で学習してきた オタク的要素と街の連帯感みたいなものを感じ、それが都市を変えてしまった という事に関して、私的にも納得しうるところは多かったわけです。 建築物的な観点で見る秋葉原とオタクの関係などに関しては、そんな 研究があるのかと驚かされた次第です。 ただ、私個人的に思ったことと言えば、 「少なくとも私はオタクの定義が当てはまらない」という事ですね。 ここで言う「オタクども」の部屋(建物、ひいては空間)の感覚として、 『部屋に電子機器が多ければ清掃頻度が少ない。部屋に電子機器が多ければ、 ゲーム関係の装飾品が多い』と言う結果が現れていたそうな。 要するに「モノ」には執着するが「場所」には執着しない と言うことなんでしょう。私の知り合いや、サークルのBOXを想像すれば、 何となく該当しなくもない気がします。その事が最近の秋葉原の 「窓を徹底的にふさぐ」行為や、ひいてはオウム真理教(アーレフに改称) の「サティアン」の無機質な建物と、彼らの建築以外への表現に表れている、 そう纏められてます。 秋葉原という「まち」と「その『まち』に集積する『オタク』を考える 上では、この考え方を持って解釈するのも妥当でしょう。 ただ、最近のオタクというのは、もっと複雑怪奇になりつつあります。 著者もオタクの定義については本書では触れてませんが、 どうしても日本人は「オタク=宮崎勤に代表されるイメージ」という感覚が 残っている様な感じがして仕方ありません。 私だって秋葉原好きですよ。東京行けば必ず立ち寄りますし、そういう店 だって、興味本位でのぞきに行きます。そこには興味のある情報が転がっている 事があるからです。ハンズにウィンドウショッピングに行く人と同じ感覚 です。ただ、先述の定義にボクは当てはまりません。PCが好きですが 部屋にはそういう「ガラクタ」を置いてませんし、その他の趣味に関しても ポスターやら模型やらをごちゃごちゃと置いてません。だから当然、部屋の掃除 もそれなりにしております。 こういう人がまだまだ秋葉原を闊歩していると思います。というか、最近では そういうタイプ以外のオタクが増えているようにも思えます。 いわゆる「ヴィジュアル系」なオタクの誕生ですね。
その辺に関する続編の著作を私は首を長くして待ちたいと思いました。
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